●クライヴ
ヨーロッパ 英国 AD1725 ハノーヴァー・ウィンザー朝
1725〜74 イギリスの軍人・政治家。1744年18歳のとき東インド会社書記としてインドに渡る。当時ムガル帝国の衰退のなかで,イギリスとフランスはインドの支配をめぐって激しく争っていた。傭兵隊の将校となり,1751年9月から11月にかけてのアルコット籠城で軍人としての名をはせた。1753年から3年間帰国したのちインドにもどり,ベンガルの土侯の反乱を鎮圧してカルカッタを奪回した。ヨーロッパの七年戦争に呼応して,インドでは1757年ベンガル土侯・フランス連合軍とプラッシーの戦いが行われた。彼は3万の兵を率いて6万8,000の連合軍を破り,イギリスのベンガル支配を確立した。1765年初代ベンガル知事となり,アラハバード条約によりベンガルなどのディワーニー(徴税権および財政管理権)を獲得した。1767年引退して帰国したが,議会においてその悪政・収賄などを告発・非難され,おりからの病苦もあいまって,1774年自殺して49歳でその波瀾の生涯をとじた。
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