●熊野三山信仰 くまのさんざんしんこう
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熊野坐神社(本宮)・熊野速玉神社(新宮)・熊野夫須美神社(那智)の3社を中心とした信仰で,熊野三社・三熊野ともいう。また単に熊野山・熊野信仰と称する場合でも,この3社を中心とした総体をさす。熊野のクマは“隈”に通じ,山嶽重畳とした奥まった地形を意味し,『日本書紀』が伝える伊弉冉尊の葬送地の伝説が示すごとく,黄泉国・根の国,つまり他界と観念されてきた。それが仏教の浸透・普及につれて,本宮の本地が阿弥陀,新宮の本地が薬師,那智が観音と位置づけられ,なかでも阿弥陀・観音の浄土とする信仰の高まりが,熊野山をして日本の山岳信仰を語る場合に欠くことのできない存在にまで押しあげたといっても過言ではない。奈良時代から平安時代初頭にかけては,まず観音の補陀落浄土として世に知られるようになり,『今昔物語』や『法華験記』などが伝えるごとく,法華持経者をはじめとする多数の修行者が入山し,修行することになった。平安時代後期にいたると,浄土教信仰の流布とともに熊野山も本宮の本地阿弥陀の西方浄土とする信仰が卓越するようになり,〈蟻の熊野詣〉と称されるような多数の参詣者が訪れるようになった。この熊野参詣は907年(延喜7)の宇多法皇に始まるとされ,後鳥羽上皇までの約300年間に都合98度の多くを数える。特に鳥羽・後白河・後鳥羽3代の上皇はいずれも20数回から30数回の参詣を果たしている。【熊野三山の機構と先達・御師】古代においては,本宮・新宮・那智三社が独立し,それぞれ社家が独立した形で代々神社に奉仕してきたが,10世紀中ごろに新宮の榎本家が傑出した存在となり,熊野山別当を称するようになった。しかし三山を完全に掌握するまでにいたっていない。1090年(寛治4)の白河上皇の熊野詣に際して先達をつとめた園城寺の僧増誉が熊野三山検校職に,また宿泊などの便をはかった別当長快も法橋の位置を与えられ,しだいに三山組織が整うようになった。熊野検校職は代々園城寺長吏が補せられたことによって,熊野山は天台系の山岳修行者の拠点となり,14世紀初頭には聖護院(増誉が洛東に白河上皇から賜わった寺)門跡が園城寺長吏・熊野三山・新熊野(増誉が聖護院内に勧請)の検校を兼ね,以後熊野三山・新熊野は聖護院門跡の重代職となっている。
一方熊野山の別当は,三山運営の実務をとりしきり,長範・湛快をはじめ優れた別当を輩出してきたが,1284年(弘安7)正湛の還俗によって断絶する。中世には別当の1門である5家(のちに7家)の合議によって運営がなされ,その下で三山がほぼ独自の機構をもち運営してきた。また御師・先達が他山に先がけて発達した点も熊野三山の特色の一つである。これは熊野が京都から遠く離れた地にあり,その案内役をつとめる先達が必要であったこと,また熊野もその当初は庄園もほとんどなく,御師として禁裏・公卿・武家などの檀那に経済的依存をしなければならなかったためである。中世期には大名檀那のほか,一族・家門単位,郷村・国郡単位,先達単位という三種の師檀関係が認められ,檀那はほぼ全国に分布している。先達は山岳修行者であり,檀那の熊野参詣の案内をつとめるとともに,熊野の牛五宝印・巻数・守札なども配札しており,いわば御師と檀那の仲介役的存在であった。この御師職・先達職は代々相続されるものであるが,優れて経済的に裏打ちされたものであるため売買の対象となっていた。つまり檀那を株と称し,零細な御師は有力な御師に檀那株を売り渡している。こうした師檀関係も各種の要因が重なって戦国時代よりしだいに衰えている。
【熊野修験と補陀落渡海】古代より他界と観念されてきた熊野山には多くの山岳修行者が集まり,園城寺と密接な関係があったところから,のちに天台系修験道本山派の拠点となった。彼らは熊野山・大峯山・金峰山という入峰修行ルートを開き,修験道の根本道場とされるまでにその名を高めるとともに,全国にその名を流布させ,多くの参詣者を勧誘している。
熊野山における修行のなかで,苦行として世に知られてきたのは那智の千日籠修行と補陀落渡海であろう。那智籠千日行は花山法皇にはじまるとされ,安倍晴明・範俊・沙門行誉・三井寺長吏となった道瑜なども千日行を行ったという。この修行は那智の滝に打たれながら千日の間山籠し修行するものである。那智では滝を神格化した飛滝権現を祀り,それに奉仕してきた修験の徒滝衆も重きがおかれてきた。一方観音浄土補陀落をめざす修行が補陀落渡海であり,捨身・入水往生の一形態である。『紀伊続風土記』によると,浜宮補陀落寺の住僧は臨終が近づくと船に乗せて補陀落をめざしたとあり,『熊野年代記』には868年(貞観10)の慶龍上人から江戸時代まで19回の渡海が記されている。なかでも『平家物語』が伝える平維盛の渡海はよく知られている。
〔参考文献〕五来重『吉野・熊野信仰の研究』1975,名著出版
五来重『熊野詣』1967,淡交社
宮家準『山伏−その行動と組織−』1973,評論社
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