50音順    検 索

●熊襲 くまそ

AD 

 古代南九州地方の地名であり,またはその地域に住した人々の族名。後者に用いたり意識されることが多い。『古事記』では熊曽,『日本書紀』には熊襲と表記され,『筑前国風土記』『肥後国風土記』のそれぞれ逸文には球磨噌唹と記すことから,肥後の球磨地方・大隅の噌唹などの地にクマソが在住していたと解されよう。クマソは大和王権による古代の国家統一過程におけるまつろわぬ人々,自立性に長じた地方の有力豪族であったと思われ,クマソ征討の説話に注目すべきものがある。『古事記』はヤマトタケル(倭建命)が熊曽建を討つ記事を載せ,『日本書紀』では,景行天皇自身が「熊襲のタケル」と「熊津彦」を討ちその後再び叛いたのでヤマトタケル(日本武尊)が西征する。ただし『書紀』の熊襲の居地は日向方面と示され両書編さんの方針の変化は興味深い。「魏志東夷伝」倭人条の狗奴国,「倭王武」の上表文中にある〈南衆夷を叛すること六十六国〉をいずれもクマソそのものをさすとする説もある