●口分田 くぶんでん
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律令体制下の日本の人々にとって,田は班田収授法などの種々の規定にもとづいて配分されるものであった。口分田は,官位の有無等にかかわらず人々に等しく配分される田で,一人あたりの標準配分面積は男女それぞれ均等であることを原則とした。『令義解』に収められた田令の条文によれば,新たに6歳になった者や死亡した者があったとき,その人が所属する「戸(へ)」は6年ごとに実施される班田収授を待って,その分の口分田を班給あるいは収公されることになっている。〈凡そ口分田を給はむことは,男に二段。女は三分之一を減ぜよ。五年以下には給はず。其れ地,寛かに狭きこと有らば,郷土の法に従れ〉〈凡そ官戸奴婢の口分田は良人と同じ。家人奴婢は郷土の寛狭によって,並びに三分が一給へ〉という条文がその配分規準であった。地の“寛”“狭”とは,人々に口分田を規準どおりの規模で班給しうる以上の田がある所と,それが困難な所とのことで,後者に属する者の口分田は,“寛なる”所の田を配分することが聴(ゆる)された。しかし“狭き”所の口分田の一人あたり配分規模は規準より小さくてもよいという解釈も,『令義解』には記されている。その一方,“寛なる”所では,いくら田が広くても口分田の班給は規定どおりにすべきだとされた。男に2段,女はその3分の2という口分田の標準配分規準は,それだけの田を人々に与えるのではなく,それを超えた分の田を人々から奪いとることを意味する規定であった。自己の口分田を3年以上荒廃させた者があれば,ほかの者がその地を耕すことができたが,それも3年を限度とした。人々はその口分田を自ら耕すこともあり,他人に“売”り直をとることもあったが,水旱虫霜のため収益が減じたとき,その所属戸は,戸を単位とする損率によっては調庸を減免されることがあった。各戸に対し,成員構成に応じた口分田を配分する制度は,調庸制度にとって適合的な様式で人々が農耕し,収穫を取得するよう規制することになる制度であった。