●グプタ朝 グプタちょう
AD320
320〜510 前2世紀ごろまでさかえたマウルヤ王国の故地マガダを中心に4世紀から6世紀の200年間インドを支配した一大統一帝国。チャンドラグプタ1世(320〜335)・サムドラグプタ(335〜376)・チャンドラグプタ2世(376〜414)・クマーラグプタ1世(414〜455)・スカンダグプタ(455〜470)とつづく。その後数人の王名が知られているが王統は未詳。フン族の侵入を受けて衰亡し,王国は小国に分立。320年(グプタ暦1,チャンドラグプタl世の即位年とする通説に対して,サムドラグプタの即位年とする異説もある),チャンドラグプタはマガタ全域のみならずアラハバード・ビハール南部・アウドまで領土を拡大。第2代サムドラグプタは北インド一帯を支配し,さらに南インドのカーンチプラムまで侵攻した。さらに第3代チャンドラグプタ2世はインド西部への遠征を行い,サカ族の支配していた地方王国を倒した。約1世紀のあいだに王国はナルバダー川以北の北インドを直接に支配した。アッサム・ネパール・パンジャーブの諸勢力は王国に朝貢し,南インドのヴァーカータカ・パッラヴァなどの王国も臣従を誓った。セイロンは友好関係を保っていた。かくして5世紀初期,チャンドラグプタ2世の時代には王国は最盛期を迎えた。当時この国を訪れていた東晋の仏僧法顕はその著『仏国記』に,その繁栄ぶりを記している。王国は中央集権的な専制君主体制を確立し,ほぼ全インドの統一を完成した。5世紀後半にはアフガニスタン・ペルシアにまで支配をひろげていたフン族(インド人のいうフーナ族)がしばしば侵入してきたため,グプタ朝は弱体化した。フン族の侵入は一種の民族移動をひきおこし,彼らに伴って中央アジアの諸部族がインドへやってきた。グプタ朝はまたインド文化の黄金時代をつくりだした。それは古典文化の復古という形で現れた。すなわち,正統バラモン教は復興され,サムドラグプタ・クマーラグプタなどの王は正統儀礼としてアシュヴァメーダ(馬祀祭)を行った。ヴェーダの諸神が崇拝され,バラモン哲学の研究は盛んとなった。しかし一般に宗教に対しては寛容であり,バラモン教のみならず仏教・ジャイナ教も保護された。また,ヴィシュヌ・シヴァ神への献身的信仰(バクティ)もひろまった。サンスクリット語は公式の言語として用いられ,詩・散文・寓話・歴史書などさまざまな文学が花ひらいた。チャンドラグプタ2世は文学・芸術を保護し,彼の下でカーリダーサによる『シャクンタラー』が著された。『ヴァユ・プラーナ』などプラーナ文献,『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』などの叙事詩もグプタ朝の時代に作成され,『パンチャタントラ』などの寓話集もつくられた。この時代の彫刻・絵画を主とする芸術はグプタ式と呼ばれ,とくに純インド的な美を強調している。その代表的な作品はアジャンタ石窟群の絵画やナーランダの銅製仏像などである。 科学の分野では5世紀末から6世紀初頭にかけて著名な数学者アリャバタ・ヴァラハミハラが現れた。これと同じ時代にインドでは10進法がつくられたといわれている。〔参考文献〕ロミラ=ターパル,辛島・小西・山崎訳『インド史1』1970,みすず書房