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●クノッソス

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 エーゲ文明の前半期をなすクレタ文化の中心地。クレタ島中央部の北岸,今日のヘラクリオン港から南6kmにある。東西を小高い丘に挟まれ,カイラトスの谷と呼ばれる鞍部の小丘にクノッソス宮殿遺跡がある。市街地は宮殿周辺と北岸に至る道路の両側に展開していた。道路は谷に沿って南にも延び,島を縦断して南岸のファイストスに至る。宮殿は北に向けて扇形に広がる展望のかなめの位置,南北道路を枢要な位置にある。早くよりエジプト・シリア地方の影響を受けて独得の文化を生み,盛期にはクレタ諸都市の覇権を握ったが,同時にエーゲ海に海上覇権を確立し,ギリシア文化の基礎をなすミケーネ文化を触発した。

【宮殿】1900年エヴァンズの発掘によって明らかにされた大宮殿は1辺約150mの不規則な方形。真中には南北に長い60×29mの中庭があり,周囲には変則的な3階から4階の建物が囲み,数百の部屋を備えたと推測される。神宮王による祭政一致のため,独立の神殿をもたず,宮殿は神事や政治・交易など多岐にわたる機能を果たし,職人の工房や多数の倉庫をも含んだ。その複雑な構造はギリシア人に迷宮(ラビュリントス)伝説を生んでいる。宮殿には城壁がなく西・南・北・北西に入り口がある。現存の宮殿は前1700年ごろ,多分地震によって倒壊した第1宮殿の跡にほぼ同一の形式で建てられたもの。前1400年ごろ,地震か外部の侵入によって炎上し破壊された。以後の一時期,部分的に使用されたものの,鉄器時代になると荒廃し,ギリシア神殿がのちに廃墟の上に建てられた。

ミノス伝説】ミノスはクレタ王の名前,または歴代のクレタ王の称号。伝説によれば,ゼウスとエウロパの間に生まれ,ヘリオスの娘パシフェと結婚するが,妻はポセイドンの贈物の美しい牡牛に恋し,半人半牛のミノタウロスを生む。この怪物を隠すために名匠ダイダロスにこの迷宮(ラビュリントス)を作らせたといわれる。ただし,この語自体はクレタの宗教的シンボル,両刃斧(ラブリュス)と関係がある。ミノスはエーゲ海に勢力を伸ばし,アテナイやメガラと戦い,アテナイに若い男女をミノタロウロスの犠牲に貢納させた。アテナイのテセウスは犠牲団に加わってクレタヘ行き,ミノタウロスを殺し,王の娘アリアドネの助けで迷宮から脱出するが,娘をサモス島に置き去りにして帰国する。ミノスはのちにシチリア島で謀殺される。

【歴史】新石器時代にクノッソスはすでにクレタ最古の最も人口の多い居住地であった。遺跡の堆積の厚さが長期にわたる継続的文化発展の跡を示している。初期青銅器時代末には,エジプトの影響で発達の早かった東部諸市に代わって繁栄し,中期には第1神殿が新石器時代の居住地の丘に建てられた。前1700年ごろ,地震か外部の侵入により宮殿は倒壊したが,すぐに同じ型の第2宮殿がその上に建てられ,最盛期(前1700〜前1500年)を迎える。クレタ諸市のほか,ギリシア諸市にも支配圏を広げ,東地中海の海上権を握って海上貿易や貢納で富を蓄積し,地中海世界で最大の都市となった。地方行政官の印章が各地で発掘され,王の強力な中央集権的支配をうかがわせる。前1500年ごろ,ミケーネ人が侵入してクノッソスの主人となるが,文化的には打撃なく継続し,前1400年ごろ,再度のギリシア人の侵入によって壊滅した。前1200年以後,クノッソスは他のクレタ都市と同様にドーリア人の支配する都市となったが,古典期・ヘレニズム期・ローマ期を通じてクレタの指導的ポリスとしての地位を保った。

【文化】オリエントの装飾的平面的色彩的要素とヨーロッパの自由で行動的海洋的な要素をともに含み,壁画や陶器の絵画的彩文にその特徴が最もよく現れている。大壺(ピトス)・カマレス陶器・宮殿建築と壁画・道路網などは注目に価する。ドーリア期以後,みるべき文化的発展はないが,ドーリア古制度がギリシア本土以上に保存され,ゴルチュン法碑文など法律分野では水準が高かった。

〔参考文献〕シンクレア=フッド,村田数之亮訳『ギリシア以前のエーゲ世界』1974,創元社

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