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●恭仁京 くにきょう

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 政情不安の奈良時代中期広嗣の乱直後の740年(天平12),聖武天皇は宮都を平城京から恭仁京に移し,以後3年余り都となった。山背国相楽郡にある。元来甕原離宮がおかれた地であった。遷都の主導者は右大臣橘諸兄と考えられる。741年には平城宮の兵器を甕原宮に移し,5位以上の者を恭仁京に移住させた。次いで平城京の二市が移され11月になって大養徳恭仁大宮と命名した。5,000人以上の役夫と行基に従う多数の優婆塞らが建設と整備に当たり15年には宮殿の造営はほぼ完成したが,天皇は新たに近江の紫香楽で宮殿と大仏造営を開始したため,それと両立せず,744年2月さらに都は難波,745に年は平城複都となり,人々も恭仁を去った。聖武天皇が疫病の猖狂・政情の激動を避けようとしたための遷都か,唐朝にみられた複都制に倣った権力の誇示であったか意見の分かれるところである。のち恭仁宮大極殿は山背国分寺に施入され,その跡は加茂町瓶原にあり発掘調査と史跡小公国としての整備が進められている。