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●工藤平助 くどうへいすけ

アジア 日本 AD1734 江戸時代

 1734〜1800(享保19〜寛政12)江戸後期の医師・経世論者。和歌山藩医長井常安の3男。13歳のとき仙台藩医工藤丈庵の養子となった。1755年(宝歴5)に家督を相続した。初め周庵を称したが,のち還俗して平助を名のった。初め,江戸定詰の医師であったため,前野良沢中川淳庵桂川甫周大槻玄沢らの蘭学者と親交があり,彼らを通じて海外事情を入手した。当時,識者のあいだで注目を集めつつあったロシア問題について,老中田沼意次の用人三浦庄二の依頼を受けて『赤蝦夷風説考』を執筆し,田沼へロシア対策を建策した。下巻で日本とロシアの地理的関係を明らかにし,ロシアの東方経略の歴史とカムチャッカの現状を論じ,上巻で蝦夷地の開発と対ロシア南下策などについて述べた。彼の建策の結果,江戸幕府は蝦夷地の開発を企画したが,田沼の失脚で実現しなかった。寛政年間侍医となり,藩内の薬物調査に当たる一方,藩財政の改革を論じた『管見録』を藩主へ献じた。