●クトゥブ=ミーナール
アジア インド AD
デリー南郊にある,デリー=サルタナット時代の塔。奴隷王朝を創始したクトゥブッディーン=アイバク(在位1206〜10)の時代に,今日のデリーの南,メヘローリー地域に,ミーナールの建設は始められた。この地域一帯は,もともとラージプート王朝時代の首都デリーの中心があったところで,デリー=サルタナット前半期,14世紀ごろまで,ラーイー=ピトーラーと呼ばれていた,その大城砦都市の一画にクッワットル=イスラーム=マスジットという巨大な,首都の中心となるモスクが造営された。この巨大なモスクは,アイバクの時代に建設され,のちイルトゥートミシュ(在位1211〜36)の時代とハルジー朝のアラーウッディーン(在位1296〜1316)の時代に2度,拡張された。イルトゥートミシュの時代には,モスクに隣接してイルトゥートミシュの墓廟がつくられた。この時代に拡張されたモスクによって,クトゥブ=ミーナールの塔はモスクの回廊で囲まれる中庭に入ることとなった。さらに,アラーウッディーンの時代には,拡張されたモスクの北部回廊に,アラーイー=ダルツーザという門が造営された。そのとき,モスク内の南側の中庭に,クトゥブ=ミーナールと反対側に,それを上回る巨大な尖塔を建設する計画であったが,土台と基部のみで終わり未完成のままである。クトゥブ=ミーナールは,この地で活動したイスラーム聖者の名にちなんでそう呼ばれている。アイバクが,モスクに付属する建築物として戦勝記念に建てさせたといわれている。基底部の直径約14m,高さ約72mで,イルトゥートミシュの時代に完成したが,14世紀半ばごろ雷にあい,一部破壊された。こんにちのものは,その最上階部分を修復したあとのものである。クトゥブ=ミーナールもまたクッワットル=イスラーム=マスジッド全体もその石材は,ほとんどがかつてこの付近にあったヒンドゥー教寺院の建築資材をそのまま使ったらしく,細部の装飾部分には大幅にヒンドゥー様式の影響がみられる。