●クテシフォン
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アルサケス朝パルティアおよびササン朝ペルシアの首都。パルティア人が前2世紀中期ティグリス川をはさんでセレウキアの対岸に建設した軍事基地が起源。パルティア軍が前53年カルラエでローマの将軍クラッススを敗死させたときのパルティア王オロテース2世(在位前57〜前37)がクテシフォンを首都とした。冬の逗留地でもあったクテシフォンはこのころまでにセレウキアに匹敵する都市に成長した。以後ササン朝がアラブ人に征服されるまで約500年間西アジアの政治の中心として繁栄した。115年ローマのトラヤヌスにより一時占領されたが,ササン朝においても首都として繁栄を誇り,壮大な宮殿が建てられた。現在もクテシフォンの遺跡に残るタークーイ=キスラ(ホスローの円屋根)はホスロー1世が550年ごろ建立した「白城」の一部である。高さおよそ30mの大アーチを残すレンガ造りの宮殿址である。クテシフォンは636年アラビア人の侵入によりほとんど破壊された。