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●グーツヘルシャフト

ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD 

 16世紀から19世紀初めまでの,エルベ川以東の東ドイツにおける土地所有の形態。農場領主は封建的特権をもって領地と農民を支配し,農民の賦役労働によって大農場を経営した。

【成立】12〜13世紀よりドイツ東方植民が進展し,多数の騎士的領主および農民がエルベ川以東に移住した。その際,農民の移動を促すため,領主の農民に対する支配は決して強力なものではなかった。農民は現物ないし貨幣地代を支払うものの賦役の義務は負わず,また保有地は広くそこでの世襲権を認められるなど,西部ドイツの荘園制に比して農民の条件は良好であった。ただし,領主の所有地は大きく,かつ土地所有域と領主制的支配域とが一致しており,そこから強力な支配成長する前提はあった。実際,西ヨーロッパで領主制的支配が崩壊していくとき,東エルベではそれとは逆の展開が始まる。14世紀以降の領邦国家成立期にあって,領邦君主相互の抗争,君主と等族との対立,それに伴う君主の財政的窮乏といった状勢を利用して,領主は高級裁判権を含む政治的権力を高めた。そして,それまで同じく政治的混乱と貨幣価値の下落によって衰退してきた自己の領主経営を再建すべく,領主は未利用地や荒蕪地を入手して直営地の拡大につとめ,16世紀以降は農民の保有地を没収して(農民追放)それを直営地に加えた。そしてこの直営地経営のための労働を,領主は彼らの領主権にもとづく農民支配の強化によって確保しようとした。これにより,16世紀から17世紀初めにかけて世襲隷農制が成立し,農民は賦役の義役をもつ農民身分におし下げられた。拡大された直営地農場は,中世の自給自足荘園とは異なり,穀物市場むけの商品生産を目的とする。つまり,グーツヘルシャフトは,封建制の危機に直面した領主が農奴制を復活させることによってこれをのり越えつつ,西ヨーロッパにおける商品経済の発展に対応しながら成立させてきたものである。17世紀以後もそれは,直営地の拡大と三十年戦争による荒廃後の再開拓の必要という条件のもとでいっそう進展する。

【領主と農民】領主は土地所有者であるばかりでなく,その領域における公権力をもつ支配者であり,むしろ後者としての権利のゆえに,農奴に対する支配とそれにもとづく直営地経営が可能であった。農民をはじめとするすべての住民は領地に緊縛されて領主の裁判権・警察権などのいわゆる経済外強制に服し,直営地賦役・公約夫役,子弟を僕婢(ゲジンデ)として領主に奉仕させる強制的ゲジンデ奉仕などの義務を負い,婚姻に際しては領主の同意を必要とした。17世紀後半以降,プロイセンの君主はときに農民保護政策をすすめたが,それは租税収入および兵力の確保・増強をめざすものでしかなく,他方では国家統一と官国強兵策を貫徹するあたり領主の支持を必要としたため,彼らの特権と領主と農民の支配・従属関係は承認したままであった。ようやく19世紀に入り,プロイセン改革の一環として農民解放が実施された。農民は領主支配を脱しはしたが,土地を失って農林および都市の労働者となった。領主は従来の諸特権を保持したままその農場を拡大し,賦役労働に代えて賃金労働による経営を行うようになる。すなわち,グーツヘルシャフトは資本主義的ユンカー経営に転換するのである。

【意義】グーツヘルシャフトの成立は封建危機の克服の過程であった。その結果,東エルベはドイツの穀倉となった。領主はそこから得られる財力の所有者であるとともに,自領の支配と地方議会の指導的地位を握り,また子弟を将校として国家に奉仕させ,プロイセン絶対主義の支柱となった。しかし彼らは,経営の近代的合理化をすすめながらも,強力な搾取をとおして農民の近代的展開は抑えた。19世紀以降のドイツ社会の後進性および西欧諸国とは異なったドイツ資本主義展開の前提が,ここにつくり出される。

〔参考文献〕藤瀬浩司『近代ドイツ農業の形成』1967,お茶の水書房

林健太郎『プロイセン・ドイツ史研究』1977,東京大学出版会