●九谷焼 くたにやき
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石川県下で焼かれる色絵磁器をいう。大聖寺藩主前田利治の奨励により,明よりの亡命陶工によって焼かれたのが始まりで,明暦年間(1655〜58)のころといわれる。元禄年間,藩の財政難により廃窯となるが,以降の九谷焼と区別するため,この期のものを古九谷と称する。九谷焼については,有田焼説や有田磁が混交しているなど諸説があり,わが国の代表的な色絵陶磁といわれながら,歴史そのものは未解明な点が多い。文化年間(1804〜18)京都より青木木米が招かれ春日山に開窯,文政年間(1818〜30)吉田屋窯が開かれ,蓮代寺窯・松山窯などがつづき緑釉を多用した青九谷が出現した。八郎手として知られる赤絵金襴手は天保期(1830〜44)から宮本屋窯でつくられ,その後の盛行の因をなしたが,幕末期にいたってほとんど廃窯となった。京都の永楽和全が九谷本窯で金襴手を引き継いだ。