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●久高島 くだかじま

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 沖縄本島南部知念半島の東方約5kmに位置する。面積1.39平方km,周囲7.75km,最高標高17.1m,琉球石灰岩からなる低平で細長い島。古くは久高と外間の2部落あったが合併し現在は知念村字久高。人口309人,112世帯(1984年8月末)。水が乏しく,沖縄本島からの送水管が施設されるまでは,各家で貯水する天水と北西海岸に湧出する泉を利用していた。半農半漁で,古くは奄美諸島を中心とした北方への出漁,それが廃れて以降は八重山や南洋諸島への出漁も盛んであった。現在は近海での漁業に変る。水利・土質の関係上水田に適せず,農業はもっぱら畑作。琉球開闢神話の舞台となっていること,多くの古習をとどめていることなどによるのであろう,“神の島”の異名をとる。近年まで崖下葬が行われていた。

【祭祀組織】一定年齢に達したすべての女性が村落祭祀組織に加入する。午年に行われるイザイホウがその加入式にあたり,30〜41歳までの女性がイニシエーションを受ける。イザイホウをへた女性をナンチュと称し,以後ヤジク・ウンサクタムトゥの諸階梯を順次昇進していく。70歳になるとタムトゥを退役し,以後は村落祭祀に参加しない。ナンチュからタムトゥにいたる諸階梯の祭祀場面での役割は位階的に定まっている。この年齢階梯的組織の頂点に立ち村落祭祀を司祭するのがノロ・ニーガンなどクニガミ(国神)と呼ばれる神役である。これとは別に,ムトゥと呼ばれる特定の旧家筋から出るムトゥガミ(男女)たちがいる。ムトゥガミはクニガミの下にあって,特定の村落祭祀で主導的立場に立つ。ムトゥガミのなかには,霊的資質が高くシャーマン的儀礼を執行するウムリングァと呼ばれる人たちも含まれる。男の神役として,クニガミの一人であるニーチュおよび若干名のムトゥガミのほかに,漁撈儀礼で指導的立場に立つソールイガナシ(二人)がいる。また,50〜70歳までの男をウプスー組と称し,旧歴8月のテーラーガーミ(太陽拝み)という行事には主役的役割を演じる。

地割制度】沖縄では1899〜1903年(明治32〜36)の土地整理事業により従来の地割制度が廃止されたが,久高島ではいくらかの変容はあるものの今なお地割制度が存在している。私有地は個人の宅地およびノロとニーチュの世襲の役俸地のみで,残りは共有地である。地割の対象となる畑地をワク地と称し,ワク地ヂーグミ(地組)と呼ばれ各々名称のつく10の組に配属されている。各組に配属された畑地はさらに15等分され,この15分の1がチュ地(一地)と呼ばれる各人に配分される単位となる。各組は原則として15人(軒)によって構成されることになる。チュ地は約300坪で,チュ地を構成する土地は数カ所に散在している。男子は16歳になるとチュ地が与えられ,一定の年齢(50,60,70歳の諸説あり)に達するとそれを部落に返却するというのがかつてのやり方であったが,戦後は家単位で永続的に用益していく方式に代わった。旧来の地割制では,耕地が細分化され農業機械の導入が困難など農業への近代化への障害が大きいため,農業基盤整備事業を実施し現行の制度を改めようとする動きがある。

【王権儀礼と久高島】琉球国王が隔年の2月に久高島に行幸し麦のミシキョマ(初穂儀礼)に臨席したことが『球陽』その他の文献に散見される。これには聞得大君ツカサクモイなどの神女たちも同行した。これとは別に,聞得大君自身の久高島における儀礼があったことが,17世紀初頭に来球した夏子陽の冊封使録『使琉球録』などの記事によって推測される。国王の儀礼と同様ミシキョマ的なものであったようだ。国王の久高島行幸は,摂政羽地朝秀の献策と王府の経費節減により,1673年より名代派遣をもって代えられる。それより数年後に久高島御殿を取り壊す記事が『球陽』にみえることからして聞得大君の久高での儀礼もそのころに終焉したと思われる。聞得大君の就任式であるオアラオリがかつて久高島で行われたとする説もある。久高島と王権との結びつきは,国王をテダ(太陽)とする思想があり,その太陽の生まれる東方(久高島は首里のほぼ東方に位置する)を聖なる方向として王権が独占した,ということで理解されよう。