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●城 グスク

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 琉球列島全域に分布し,グシク・グスク・スクなどと称されている。その数はおよそ300と推定され古層の村々には一つのグスクが存在するのが普通であり,性格については民俗学の面からは墓所・拝所としての聖域説,考古学・歴史学の立場からは集落、防御された城説などがある。立地は村落近くの小高い丘や中腹に位置する場合が多いが,単なる砂丘・岩島,あるいは岩崖,なかには墓そのものをさすこともある。墓としてのグスクの例をあけると,奄美大島の住用村城のグスクは浜辺の小高い砂丘の墓地であり,恩納村前兼久のグスクは崖下の古墓だらけの場所である。読谷村瀬名波のカクレグスクや座喜味のタカヤマグスクは石火岩の岩山で,そこには古いアジ墓がある。墓そのものでなくても,多くのグスクは村の拝所となる。このように村の聖地がグスクと呼ばれるのは,もともとグスクが村の遠祖,もしくはある一族祖先たちの墓場であったからだと思われる。按司の居城としての防御のためのグスクとしては,今帰仁城,座喜味城,中城城,首里城などのように明瞭に城郭の形態をなすものがある。それらグスクは,12世紀ごろから築城されはじめ,14世紀末〜16世紀ごろまでには完成したと考えられる。首里城内部には首里森グスクと真玉森グスクがあり,大宜味村謝名城の上グスク内には二つのグスクがあって,グスクのなかにさらにグスクがある形になっている。このことはグスクを囲って城になる過程を示唆している。糸満市名城のフュンサグスクは本格的な発掘調査がなされ,集落跡としての多くの遺物を出土した。グスク土器・須恵器,炭化米・麦などや,掘立柱の建物の存在を示す柱穴遺構も検出されている。その後八重瀬グスクや屋良グスクなど多くのグスク遺跡が発掘調査された。その結果,グスク時代の社会は稲作・麦作を中心とする農業社会で,グスク内には支配者層の地域土豪層が居住し,周辺に散在的に一般民衆が集落を構えていた。そのころから鉄器も生産し,海外貿易も営むなど活発であつた。

〔参考文献〕仲松弥秀他『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社

当真嗣一「グスク時代」『掘り出された沖縄の歴史』1982,沖縄県教育委員会

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