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●九条道家 くじょうみちいえ

アジア 日本 AD1193 鎌倉時代

 1193〜1252(建久4〜建長4)鎌倉時代初中期の摂政関白,従一位,東福寺の開基。九条道経の長男。母は一条能保の娘で源頼朝の姪にあたる。通称,光明峯寺殿・峯殿とも呼ばれる。1218年(建保6)左大臣。翌年鎌倉幕府の求めにより,四男(藤原)頼経を鎌倉に下向させ,将軍とした。1221年(承久3)仲恭天皇の摂政。承久の乱では中立保持。乱後,摂政をやめている。しかし頼経が4代将軍となり岳父西園寺公経が太政大臣となったため朝幕調整係となる。1228年(安賀2)関白に就任。1231年長男教実へゆずり,自らは大殿と称して政界を指導したが,教実の死によって再び摂政となり,従三位に昇進している。1238年,法性寺へ出家,法名行慧。1243年東福寺を創建。1246年頼経の京都送還があり,地位はゆらぎ始め,1251年ごろにおきた陰謀事件により孫の5代将軍頼嗣が追放され,権門体制の頂点にあった彼も勅勘をうけて,不遇のなかに死去する。日記に『王蕊』がある。