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●九条兼実 くじょうかねざね

アジア 日本 AD1149 平安時代

1149〜1207(久安5〜承元1)平安末期〜鎌倉初期の公卿。月輪殿・後法性寺殿とも称された。父は藤原忠実、母は藤原仲光加賀。1158年(保元3)10歳で元服し、正五位下、左近衛権少将に任じた。1162年(応保2)正二位、1164年(長寛2)には16歳で内大臣。翌々年には右大臣となり随身兵仗を許され、1174年(承安4)従一位、1177年(治承1)橘氏是定、1185年(文治1)には内覧宣下を受け翌年には摂政・氏長者となった。ときに38歳。1189年太政大臣、1191年(建久2)関白となったが、1196年源通親との対立による建久の政変で官を追われた。法然房源空への帰依を深めていった。頼朝とは協力関係を維持し、支持を受けたが後白河法皇とは良好といえず、平安期以来の摂関家領荘園は継承できなかった。五摂家の内、九条・一条・二条家の家祖である。『魚秘抄』『春除目略抄』『摂政神斎法』などの著述があるが、40年間に及ぶ日記『玉葉』は当代第一級の歴史資料である。


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