●九十九里浜 くじゅうくりはま
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房総半島北東部,太平洋に面し北の行部岬から南の太東岬につづく弓状の砂浜海岸で,沿岸州が発達し遠浅である。長さは約60km(約16里)に及ぶ。九十九里の称呼は諸説あるが,源頼朝の命で1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承が有名で「矢指が浦」の異称がある。もっとも,1里6町の旧制によると約16里はほぼ九十九里となる。ここはかつては本邦第1の有名なイワシ漁場で,そのおこりは戦国末の1555年(弘治1)紀州の西宮久助なる者が難風のため九十九里南白亀(なばき)郷剃金浦(現,長生郡白子町)に漂着し地引網の漁法を伝えたという(『房総水産図誌二(稿本)1883年』)。いうまでもなく九十九里の地引網漁業は関西漁民の出漁によって開発され,やがて地元漁民に受け継がれた。1780年(安永9)佐藤信季はその著『漁村維持法』を著した。そのなかで彼は九十九里地引網漁業は本邦第1の漁業規約を有し,地引網数は総数200帖あると指摘している。ここで生産された干鰯(ほしか)・〆粕は大坂周辺の綿作・四国阿波の藍作・紀州の密柑などの高級肥料として使用され農業生産力の発展に寄与した。九十九里地引網漁業は安永〜天保期(1772〜1843)にかけて盛大であったが,幕末以降しだいに衰退におもむいた。とくに明治中期に考案された改良揚繰(あぐり)網によるイワシ漁業の勃興は,旧来の地引網漁業に大きな打撃となった。現在,九十九里浜には北から飯岡・横芝屋形・片貝・太東漁港の四つの漁港が建設され沿岸漁業が営まれている。しかし,かつての地引網漁業はイワシ魚群の沿岸回遊の減少と相まってほとんど絶滅に近い状況となり,観光地引網としてそのあとをとどめているに過ぎない。
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