●クシャーナ朝 クシャーナちょう
AD
中国では,クシャナ族のことを,貴箱・月氏・禺知・禺氏・牛氏などと記している。月氏は,西蒙古・ジュンガリア・甘粛西部・青海に居を張っていたが匈奴に押されてしだいに西南に移り,大月氏は,前2世紀にアフガニスタン北部に侵入,バクトリア(大夏)を打倒し,しだいに定住するにいたる。その後アフガニスタン北部・西北インドを中心に栄えた。さらに中央アジア・アフガニスタン・西北インド・北インドを征服し6世紀まで活躍した。しかし,クシャーナについて大月氏族そのものでなく,ヒンドウークシュ山脈地方に古くから住み大月氏に支配された民族で,イラン系という説も有力である。クシャーナ族が月氏に属しているという説にしても人種的起源が明らかでない。トルコ人説もある。言語の面からみると多くの説があり,大方は,インド=ヨーロッパ語族のイラン語派に属していたとする。東イラン語・北アーリア語・ホータン語・サカ語・クシャーナ語などの名称で呼ばれる。バクトリア(Bactria)に移住した大月氏は,5人の部族長をその地に配し,ワハン渓谷の西部を領土とした。大月氏とクシャーナ族との関係に前述の如く両説があるとしても,クシャーナ族は,しだいに近隣諸国を征服していった。すなわち,クジュラ=カドフィセス(在位30〜91/92)・カドフィセス1世(在位25〜64)・丘就部(在位40〜78)らは,後1世紀に諸部族を統一し,南下して,カーブル地方にいたり,さらにガンダーラに勢力を伸ばした。その子,ウェマ=カドフィセス(在位91/92〜130/136)・カドフィセス2世・閻膏珍(在位78〜110)らは,インダス川流域から北インドに進出し,今までの父王の領域に総督を置きクシャーナ統一帝国が完成した。貨幣を鋳造し,ローマとの交易も行い,富の蓄積がなされた。その後,カドフィセスの王統は,しばらくつづいたのち,滅びたと考えられる。
次にホータン国あるいはカシミール出身といわれているカニシカ王は,カドフィセスと異なった系統のクシャーナ族とみられる。しかし,生没年・即位年は不明で多種多様な説がある。即位年代は前1世紀から後3世紀までの説があるが,後2世紀説・後78年説の順に有力である。カニシカ王の活動事蹟は仏典に詳しく記されているが,寓話と事実の区別がつきがたい。カニシカ王のとき,クシャーナ王朝は全盛期となる。東は,ガンジス川中流のヴァーナラシーからパータリプトラー,つまりビハール州まで勢力が及んだ。ベンガル地方にも彼の貨幣が残っている。首都は現在のペシャワールで,西はアフガニスタン東半,北はパミール高原の北,東トルキスタン西半部,南はデカンまでに及ぶ広大な版図をもった。王は仏教を信奉・保護し,確立した統一帝国のなかで西北インドを中心に仏教が伝播し栄えた。説一切有部を保護したといわれる。ほかの宗教も認め,ゾロアスター教・ギリシアの神々が信じられた。仏教詩人アシュヴァゴーシャ・医者チァルカが活躍したが王の北方遠征中,将校に暗殺されたという。ギリシア=イラン思想・文化を包摂し,ローマ帝国・後漢とも密接な交渉をもった。ヴァーシシカ・フヴィシカ・カニシカ2世(前王と併立説あり)・ヴァスデーヴァ(3世紀中葉ササン朝に敗れる)とつづいたが,その後たびたびササン朝と抗争,クシャーナ朝は衰微し,一藩侯に陥った。5世紀前半にヒンドゥークシュの南北で,クシャナ族を再統一したのが、キダーラ=クシャーナ王朝であるが,5世紀後半から6世紀初頭までには滅亡した。
〔参考文献〕中村元『インド古代史』下,1966,春秋社
山本達郎『インド史』1950,山川出版社