●草壁皇子 くさかべのおうじ
アジア 日本 AD662
662〜689(天智1〜持統3)天武天皇の皇子で日並知(ひなめし)皇子ともいう。母は,後の持統天皇である。672年(弘文天武1)の壬申の乱では11歳ながら父,大海人皇子(天武天皇)について吉野を出て東国にむかい挙兵する。天武天皇には10人の皇子と7人の皇女がいたため皇位継承問題が複雑だった。宮廷の人気は器量・才幹ともに優れた天皇の第3子,大田皇女を母とする大津皇子にあった。草壁より大津のほうがあらゆる点でまさっていたが,皇后を母にもつ草壁が,681年(天武10)に皇太子となる。686年(朱鳥1)9月天武天皇が没し,10月に大津皇子は謀反をおこし処刑された。天皇が没したのち,皇后が称制をとり草壁皇子は皇位につくことなく,689年(持統3)に28歳で早世してしまう。この死を悼んで柿本人麻呂は,日並知皇子殯(あらき)宮歌をうたい『万葉集』に収められている。文武天皇や元正天皇の父であり,758年(天平宝字1)には,岡宮御宇天皇の号をおくられた。