●久坂玄瑞 くさかげんずい
アジア 日本 AD1840 江戸時代
1840〜64(天保11〜元治1)幕末尊攘派の志士。萩藩士。松下村塾における高杉晋作とともに俊傑と呼ばれた。幼名は秀三郎,名は誠または通武,1863年(文久3)より義助,ときに義資といった。字は玄瑞または実甫(じつほ)・秋湖などと号した。一時は松野三平・河野三平と変名。1840年(天保11)5月,長門国萩平安古(ひやこ)八軒屋に生まれた。幼時吉松淳三の私塾に学ぶ。ついで藩校明倫館に入り,蘭学を学ぶ。1854年(安政1)父および兄を失い,家督を継ぎ,25石を給された。吉田松陰と親交し,幽室中も文通した。やがて松陰の妹文(15歳)と結婚,ときに玄瑞は18歳。松陰は玄瑞の才を〈縦横無礙〉といった。松陰の処刑後はその遺志を継ぐ,坂本竜馬・吉村寅太郎らと親交。1862年(文久2)藩論を公武合体から尊攘に一変させ,下関の外国船砲撃に参加。1864年(元治1)禁門の変を指導し,負傷し自刃した。