●空也 くうや
アジア 日本 AD903 平安時代
903〜972(延喜3〜天禄3)平安中期の僧。こうやとも読む。社会救済活動につとめ、とくに民間に浄土信仰を広めて、出家しながら沙弥の身分を通し、世に「市聖」とも「阿弥陀聖」とも呼ばれた。源為憲の『空也誄』には、生涯、出自を語らなかったが、知っていた者は「皇派」の出であるといったという。若くして五畿七道をめぐり、名山霊窟で修行してつとに社会奉仕を行い、後半、帰洛後は市井に念仏を広めたことを慶滋保胤は『日本往生極楽記』に〈天慶以往、道場・聚落、念仏三昧を修すること希有なり。何ぞ況や小人・愚女、多くこれを忌むをや〉と記し、空也の勧化によって世に念仏が行われるようになったことを讃えている。その念仏は踊念仏といわれ、鉦などをたたいて拍子をとり、念仏を称えつつ踊ったもので、そこに狂躁的な陶酔を生み出す傾向があったとみられる。生前より伝説化されて世に知られたことは『空也誄』に散見される。空也の建てた西光寺が後の六波羅蜜寺である。
〔参考文献〕堀一郎『空也』1963、吉川弘文館
平林盛得「空也と平安知識人−『空也誄』と『日本往生極楽記』弘也伝」(『聖と説話の史的研究』)1981、吉川弘文館
三間重敬「「空也上入誄」の校訂及び訓読と校訂に関する私見」(「南都仏教」第42号)1979、南都仏教研究会
