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●クウェーカー

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 17世紀に,ジョージ=フォックス(1624〜91)がイギリスで創始したキリスト友会(SocietY of Friends)の会員のことを指し,友会徒・フレンド,またはクウェーカーと呼ぶ。今日では,クウェーカーのほうが多く使用されている。レスターシャーのフェニー=ドレイトンで生まれたフォックスは,19歳のときに求道の旅に出て,4年後ついに真理を見出した。福音は,牧師の説教や壮厳な会堂のオルガンの響きから来るのではなく,へりくだった心をもって神の前に独坐静思して待ち望むときに,人の心にひびく神の声をとおして来ることをさとった。キリスト友会でいう「内なる光」の体験である。フォックスは,それから5年間の伝道と2回の投獄の後,1652年,イングランドの北西部で,多数のシーカー(求正派)に真理をさとらせ,その後,クウェーカー主義の運動は急速に広まった。クウェーカーの礼拝は変わっていた。少人数の男女のグループが町や村の家々に集まり,沈黙のなかにともに主を待ち望んだ。そこでは儀式・聖書・説教・讃美歌など,すべて余分な付加物を取り除いた。当時のイギリスには,教会での礼拝以外のあらゆる宗教的礼拝を禁じる非国教徒集会条例があったので,多くのクウェーカーが集会所からつまみ出され,不敬罪で投獄された。1662年,5人以上の集会が禁止されてからは迫害がいっそうひどくなり,1689年,信教の自由を認める法律ができるまでに,1万2000人のクウェ一カーが投獄され,そのうち300人が獄死するという迫害の歴史をもつことになった。

 1647年,フォックスが伝道を始めたころ,彼のまわりに集まった人々は自らを「光の子」または「真理の友」と呼んでいた。キリストのことば〈我汝等を友と呼ぶ〉(ヨハネ伝15・15)からとったものである。クウェーカー(震える者)という呼び名は,1649年,フォックスがダービーで逮捕・尋問されたとき,治安判事にむかって〈主のみの言葉におののき震えよ〉といったので,判事から逆につけられたあだ名に由来する。たび重なる迫害によって,「光の子」というゆるい組織では崩壊の危機にあることを知ったフォックスは,獄から釈放された1666年,積極的に組織をつくり始めた。小さな集会をいくつかまとめて月会をつくり,月会をまとめて四季会を構成した。1656年から代表者会として開いていたジェネラル=ミーティングは,ロンドン年会と改称して,1668年以後毎年開くようになった。毎週金曜日に開かれていた救難委員会は,今日もロンドン年会の中央委員会として存続している。“友会”という名称は,教会の外にあるという意味で,1665年以降用いられるようになった。友会の史上に残る人々に,ロバート=バークレー(1648〜90)とウィリアム=ペン(1644〜1718)がいる。バークレーは『弁明』(1676)を出版して友会の信仰を擁護し,ペンもまたエッセイを書いてこれを助け,新大陸では信仰の自由と民主主義政治の実現につとめた。このほか,奴隷制度に反対したジョン=ウールマン(1720〜72),牢獄の改良と囚人の教育に身を挺したエリザベス=フライ(1780〜1845)など,みな深い礼拝の体験と〈万人の内に神が宿る〉という伝統的な友会の信条に根ざした生活を示したものである。また,絶対平和主義を唱え,第一次・第二次世界大戦では良心的兵役拒否を行い,強制労働された者も多い。戦後の救済活動はめざましいものがある。

 クウェーカーによる海外伝道は早くから活発で,1657年には遠くトルコまで及んだ。アメリカには同年二人の女性が伝道に渡り,フォックス自身も1671〜73年にアメリカ伝道を行った。18世紀は伝道活動が衰えたが,19世紀後半からイギリス・アメリカの友会徒が世界各地に伝道し,1983年現在,約20万人の会員と62の年会を擁している。日本には,1886年アメリカのフレンドによって伝えられ,現在会員数約250名,キリスト友会日本年会を組織している。

〔参考文献〕ハワード=H.ブリントン『クェーカー三百年史』1961,基督友会日本年会

『基督友会七十年史』1957,基督友会日本年会