●金陵 きんりょう
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現在の江蘇省南京市の別名。戦国時代に楚の金陵邑,唐初に金陵県,五代に楊行密の呉の金陵府が置かれたので,のちにこの地の雅名として用いられた。長江下流域沿岸部に位置し,三国時代の呉の孫権がこの地を建業と名づけて国都とし,晋ではケンギョウ※注1※・建康と二度にわたって改称,東晋になって国都とした。以来,宋・斉・梁・陳の南朝諸王朝の国都として繁栄し,南朝文化の一大中心地となった。隋では江寧県,唐では金陵県,白下県,上元県と名を次々と改め,政治の中枢機能を失ったが,揚州とともに江南の経済の中心地として重要な役割を果たしつづけた。五代では,楊行密がこの地を金陵府と名づけて呉国の国都とし,リベン※注2※は江寧府と改めて南唐国の西都とした。元末,集慶路と呼ばれていたこの地を占領した明の大祖朱元璋は,応天府と名を改めて建国の拠点とし,1368年(洪武1)には開封を北京,この地を南京と定め,翌年,開封の都城造営の中止に伴って実質上の国都とした。1378年(洪武11)に京師として名実ともに国都と定めたが,靖難の変によって即位した成祖永楽帝が,1403年(永楽1)に元の旧都北平を順天府と改めて北京と定め,1421年(永楽19)に国都を北京に移すに及んで,再びこの地を南京と改称し1441年(正統6)になって正式に南京を陪都と定めた。清は江寧府と改めたが,江南の中心地としての役割は変わることはなかった。1853年(咸豊3),太平天国軍がこの地を占拠,12年間にわたって天京と呼んで拠点とした。1911年(宣統3),辛亥革命がおこると革命軍はこの地を本拠地とし,翌年には中華民国臨時政府を樹立した。1927年(民国16),蒋介石の国民政府はこの地を中華民国の国都に定め,第二次世界大戦中は一時日本軍の占領下にあったが,大戦後再び国民政府の拠点となった。
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