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●禁門の変 きんもんのへん

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 蛤御門の変,元治甲子の変ともいう。禁門とは宮城門のこと。幕末尊攘運動の過程において1863年(文久3)は長州が国論の先頭に立つ感があったが,八月十八日政変で長州の政治運動と密着していた公卿が公武合体派の反撃で追放され,朝意は再び幕府擁護の側に戻った。京都から遠ざけられた長州はこの年の後半雌伏したが,明けて1864年(元治1)には藩は反撃の気運が大勢となり,宍戸・桂・高杉らの反対,慎重派をおさえて京都出兵へと展開する。あくまで攘夷を国是に戻すことの嘆願,三条実美らの冤罪哀訴などがねらいであった。20日あまりの幕府当事者との交渉も不調に終わったため7月19日,長州勢と,会津・薩摩等京都警備勢との間に戦端がひらかれた。1日の撃突であったが長州勢を率いた来島・久坂・真木ら指導者が敗死,京都は3日におよぶ大火で2万8千余の家屋が焼失。帰藩した長州勢に対し,幕府は21藩から成る追討軍を派遣,第一次長州征伐となる。この変により文久2年以降の尊攘運動は終熄し,朝廷幕府の公武合体派が分解,長州では討幕派の成立を促した。