●禁中並公家諸法度 きんちゅうならびにくげしょはっと
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禁中方御条目・禁裏向御方式(きんちゆうかたごぢょうもく,きんりむきごほうしき)・公家諸法度ともいう。江戸幕府が天皇・公家に対する統制を確立するため金地院崇伝に起草を命じ,定めた法令である。1615年(慶長20)7月17日,大御所家康・二代将軍秀忠・二条関白昭実の連署をもって公布された。漢文体の17条の法度で,この法度によって天皇の行動を直接規制する基本方針を確立した。内容は,天子諸芸能を初め,三公・門跡らの座次,三公・摂関の任免,養子,武家の官位の除外改元,廷臣の衣服,諸家昇進の次第,廷臣の刑罰より紫衣上人の号など諸般にわたり,厳しく規制を加えている。すでに,幕府は1613年(慶長18)6月16日に公家衆御条目・勅許紫衣法度を発布していたが,禁中並公家諸法度によって,天皇の権能は改元・叙位・任官など,きわめて形式的なものとなった。その後の朝幕関係は,すべてこの法度を基準として処理された。江戸時代を通じて条文はまったく改訂されなかった。