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●近代化論 きんだいかろん

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 「近代化」ということばは社会生活のあり方を「近代的」にするという意味であるが,社会生活のあり方そのものがきわめて多面的であり,「近代的」の語義も大きなひろがりをもって一定していないのが現状である。とはいえ,これまで,社会体制や政治形態の変化に着目して,近代的なるものの特徴をとらえる努力がなされてきており,[1]資本主義化,[2]市民社会化ないし「民主化」(個人の自由と自我の確立),[3]工業化ないし産業化(機械文明・工場生産),[4]合理化(理性的・機能的・効率的)などが基本的指標としてとりあげられてきた。近代化論とはこのように近代的なるもの,すなわち近代社会の特質を学説化したものであり,その端緒は19世紀に遡ることができる。サン=シモン・コント・スペンサー・テンニース・デュルケーム・マックス=ウェーバーなどがすぐれた理論を展開してきた。

 しかし,第二次世界大戦後,主としてアメリカの学者を中心に近代化論がとりあげられるにいたったのはすでに西欧社会に対してではなく,アジア・アフリカの低開発諸国に対して視点が向けられたときであった。低開発諸国の近代化に関心がもたれると,100年前西洋に遅れて近代化の路線に踏み入り,西洋に追いつき追いこしてしまった日本が,戦略的に重要な観察対象となったことは当然なことである。

 日本では1960年夏,箱根で開かれた日米社会科学者たちによる「近代日本に関する会議」のころから「近代化論」のことばが通用しはじめ,翌年駐日大使として赴任したライシャワーが,日本とアメリカは対等で,共通の利害と理想をともにしているという日米関係論と,日本が明治維新以後,西欧のモデルに従いながら官民調和のなかに近代化の過程を早めたことを明らかにし,西欧のほかで近代化を成し遂げた唯一の国であるという日本近代化論を唱え,日本の過去の1世紀は抑圧と侵略の歴史であるとしてきた左翼歴史学者に真っ向から対立する見解を示した。ライシャワーの日本近代化論が高度経済成長期の真っただ中にあった多くの日本人に自信を与えたことはいうまでもない。