●欽宗(宋) きんそう
アジア 中華人民共和国 AD1100 北宋
1100〜61(元符3〜紹興31)(在位1125〜27)中国,北宋第9代皇帝。姓名は趙桓。諡は恭文順徳仁孝皇帝。第8代徽宗の長子。母は顕恭皇后王氏。1115年(政和5)皇太子となる。1123年(宣和5)に金の大宗が即位すると,宋と金の両国関係は悪化していった。1125年(宣和7)両国の国交断絶に発展し,金軍が幽州(北京)と雲州(大同)の両道から宋に侵入してきた。この報に接した徽宗は政治を行う意欲を失い,12月急に皇太子(欽宗)に位を譲り,翌年には南方の鎮江(江蘇省)に逃れた。このような国難をかかえて,欽宗は26歳で即位した。金軍は1126年(靖康元)1月,第1次開封攻撃を行った。宋が金に北辺の要衝,太原・河間・中山の三鎮を割譲することを約したので,これに満足して北方へ引き上げた。しかし,宋の国内では太学生陳東らが上書して李綱の主戦論を支持し,蔡京(さいけい)・童貫(どうかん)らの誤国の責任を追及した。こうして政府も主戦論へ傾いていった。たび重なる宋の背約に憤慨した金は,同年秋軍事行動をおこして南侵し,ついに第2次開封攻撃によって都を落とした。1127年(靖康2)欽宗とその父道君皇帝(徽宗)は,皇族・宮人・工匠たちとともに,捕虜として北方へ送られ,ここに宋王朝は一時中絶した(靖康の変)。彼は父とともに五国城(黒竜江省依蘭県)で悲惨な生活を送った。1142年(紹興12)両国間に講和条約が成立しても帰還はならず,配流30年にして没した。