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●金相場 きんそうば

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 金の価格および価格の変動のこと。金は価値と価格が同一な数少ない物品の一つであり,砂金・結晶として地表において採取されたため,人類の発生とともにあったはずである。しかし,有史以来,採取・採掘・製錬された金は7万〜9万tで,これを1カ所に集めると1辺が約16mの立方体にしかすぎない。現在これらの金は各国政府保有金と民間退蔵金に分かれ,地金・宝飾品・金貨・装身具の形態をとっている。金の相場は24時間中世界のどこかの取引所で売買が行われ引き継がれていく。

【金貨および金銀比価】金が刻印された貨幣として出現したのは,前560年小アジアのリディアのクリザス王(在位前560?〜前546)のときといわれ,東西交易の地において交換価値のあるものと認められたからである。このときの金銀の比価(同一重量の純金と純銀の価格比)は1:16であった。その後の比価は地域によってばらつきがあったが,しだいに金の重要度が増し,1252年イタリアでフローリン金貨,1257年イギリスでペニー金貨がつくられるなど,ヨーロッパ諸国で貿易が盛んになるにつれて本位貨幣としての金貨が生まれた。引力の発見者ニュートン(1642〜1727)がイギリスの貨幣局長だった1717年にギニー金貨をつくったときの比価は1:15.21であった。わが国においては1601年(慶長5)徳川氏によって慶長金銀がつくられたが,金1両(4匁)を銀60匁と定めたから比価は1:15であった。幕末には1:5〜7にまで金が下落したが,そのころ東南アジアでは1:15程度であったのでわが国の金が海外に流山した。1817年(明治4)明治政府は比価を1:16としたが,これはアメリカにならったものといわれる。なお,最近の金銀比価は1969年1:30,1980年1:17,1982年1:60,1984年1:44とめまぐるしく変動している。

【現代の金相場】13世紀ヨーロッパで貿易が盛んになるにつれて金そのものを扱う業者が出現したが,まだ近代的取り引き形態をとるにはいたらなかった。1919年9月12日にロンドンにおいて主要5大業者が黄金の間と呼ばれる部屋に集まり値決めを行った。これがロンドンのフィキシング=プライスと呼ばれるもので現在までつづいており,トロイオンス(31.1035G)当たりアメリカドルで価格が表示され,午前と午後の2回公表されている。受け渡しはグッド=デリバリー=バーといわれる400オンス(12.5kG)のインゴットである。集団で公正な価格を決める取引所取り引きの形態は,ニューヨーク商品取引所(ニューヨーク=コメックス)が1974年に金の先物取り引きを開始してからで,以後コメックスが世界の金相場の主導権をもち現在にいたっている。コメックスでの売買は100トロイオンス単位で,偶数月23カ月先までの決済限月(げんげつ)を設定,3カ月以内には奇数限月をたてるが,いちばん近い決済月を期近(きじか)または当限(とうぎり)と呼ぶ,いちばん遠い決済月を期近といっている。1984年11月2日,当限は11月限(がつぎり)で335.9ドル(トロイオンス当たり)期先は1986年8月限で404.0ドルであり,この価格差68.1ドルは当先(とうさき)のサヤ(鞘)といわれ,市中金利および先見性によって開いたり縮小したりする。たとえば市中金利が20%を超した1981年10月28日には120.3ドル(期近423.0ドル,期先543.3ドル)であったものが,1983年8月26日には86.2ドル(期近419.8ドル,期先506.0ドル)となり,さらに金利低下の傾向を強めた1984年11月には上記68.1ドルに縮小している。これは,金がいまだに“貨幣”としての性格をもちつづけていることの証拠といえる。金の歴史上の最高値は1980年1月の850ドル(現物)であり,コメックスの期先ではちょうど1,000ドルをつけている(日本では1980年1月21日の1G当たり6.485円)。これは,OPEC(石油輸出国機構)の原油価格の引き上げと前年12月にソ連がアフガニスタンに侵攻しアメリカ・ソ連の緊張が高まったこと,またアメリカの石油富豪が銀の買い占めをし,銀価格が高騰したのと連動したからである。日本の東京工業品取引所では金・白金・銀を上場しているが,制度が世界の慣例と異なるため商売は振るわない。