●金石学 きんせきがく
アジア 中華人民共和国 AD
中国古代の金属器や石刻上の銘文絵画などを研究する学問。金属に刻したものを金文、石材に刻したものを石刻文といい、合わせて金石文と呼ぶ。金石学の対象は、この金類と石刻が中核となっているが、さらに細分して金類・銭幣類・印璽類・石刻類・玉類・陶類・甲骨類・竹簡類まで範囲をひろげることもある。中国では好んで金石類に記事や標式を明示し、その文字を金文石刻、あるいは款識(かんし)といい、その器物を吉金貞石と呼んだ。款とは陰刻、識とは陽刻の文字、吉金貞石とは永久に伝存すべきことを意味し、これらは金類・石類・陶類の三つに分けられる。金類には青銅製の彝器(いき)・楽器・武器・印璽・銭幣・鑑鏡・仏像・梵鐘などがあり、石類には刻石・碑・墓誌・造象・経典・その他があり、陶類には陶器・土器・ガセン※注1※、そのほか封泥などを含む。金石学の遠祖を漢の張敬とする説もあるが、ふつうは北宋の欧陽脩を始祖とする。欧陽脩は、金文や石刻の拓本を集めて解説し『集古録跋尾』10巻を著し、金石学に初めて学問的な基礎を与えた。彼の友人劉敞も『先秦古器図』1巻を著し、古銅器の研究には器形学・文字学・歴史学の3部あることを唱え、金石学は欧陽・劉の二人によって方向づけがなされた。さらに呂大臨が『考古図』10巻を著し、銅器自体についての観察、収蔵の過程、銘文の解説、器形による分類および時代決定を行い、金文の専著として完備したものであった。徽宗の勅命による『宣和博古図録』30巻も、その体裁を学んで器学的方面をいっそう発展させた。現在の古銅器の名称の多くはこの書によっている。しかし、南宋の薛尚功が出した『歴代鐘鼎彝器款識法帖』20巻は、器形図がまったく省かれ、ただ銘文模本とその考釈だけからなり、法帖の形式をとっている。文字偏重は、国都南遷後金石の実物をみることが少なくなったことに重大な原因があり、この結果文字の解読は大いにすすんだが、逆に器形学はゆるがせになされるようになった。元明時代は、金石学衰退の時代であったが、清朝では考証学の発達に伴い再び活発になった。まず考証学の祖顧炎武の『金石文字記』6巻、朱彝尊の『金石文字跋尾』6巻が出たが、乾隆・嘉慶時代になると、ますます隆盛を加えた。清末から民国にかけても、金石学の研究は衰えず多くの学者が輩出した。とくに清末の呉大澂は、金文解釈に天才的才能を発揮し、従来の伝統化した誤謬を訂正するところが多かった。民国になって光彩をはなったのは、羅振玉・王国維の二人で、羅振玉は資料の収集刊行の方面で大きな功績を残し、王国維はそれを活用して器形学・金文書体論に優れた見解を示すとともに、古代史料として利用することで画期的な業績を残した。彼の学を継承したものとして郭沫若・容庚の業績が注目される。ほかに除仲舒・呉其昌・陳夢家・カールグレン・浜田耕作・梅原末治らが優れた業績を残している。
〔参考文献〕貝塚茂樹『中国古代史学の発展』1946、弘文堂
