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●金城公主 きんじょうこうしゅ

AD688 

 688〜739 吐蕃に降嫁した和蕃公主の一人。唐の高宗の第6子章懐太子賢の孫娘で父は雍王宗禮。賢は675年(上元2)6月に皇太子となったが,679年(調露1)明崇厳の事件に連座して失脚,自殺させられ,守禮も幽閉された。賢の弟中宗顕は彼女を養女とした。703年(長安3)吐蕃王の祖母チマロエ(祖父マンソンマンツェン王の妻)が唐に遣使して公主の降嫁を乞うた。これに答えて中宗の710年(景龍4)1月金城公主の吐蕃チデツクツェンへの降嫁が実現した。公主は,30年間チベットで暮らし,その間従兄妹の関係にある玄宗にたびたび手紙を送り,唐と和戦を繰り返していた吐蕃のために弁護し,その関係改善に努力した。739年(開元27)51歳で死去し,告哀使の到着した741年(開元29)に玄宗は公主のために光順門外で追悼会を催し,3日間朝廷を閉じて喪に服した。