●金座・銀座 きんざ・ぎんざ
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江戸幕府の小判・一分判鋳造所を金座。銀座は二朱銀・一朱銀・一分銀など小額貨幣の鋳造所をいう。大判の制作は大判座が分担していた。1595年(文禄4)後藤光次が墨書小判をつくり,慶長5年から極印の一分金の製作が始まったとされる。このころ江戸の金座が組織された。1695年(元禄8)の貨幣改鋳により本郷に工場が新築され,金銀座一団となって作業が行われ,3年後,後藤邸内に移った。1755年(宝暦5)に江戸・京都・佐渡3カ所の後藤役所の関係者は143人との記録がある。寛政の改革で規模が縮小され,天保通宝発鋳にかかわる利潤等の未整理問題で窮地に追い込まれた。金銀座の廃止は明治1年である。銀貨鋳造は室町末期から各主要都市でみられたが,元銀の改鋳以後定着し,改鋳ごとの分一銀によって富財をなした。江戸・京都・大坂に銀座役人が活躍,ある時期まで大黒長左衛門家がこれに当たった。明和・安永の幣制改革以来,小額貨幣を鋳造しつづけた。