●金玉均 きんぎょくきん
アジア アジア AD1851
1851〜94 李朝末開国(1876)後の開化派の指導的政治家。6歳のとき門閥貴族安東の金炳基の養子となる。字は伯温、号は古愚。1872年、科挙試文科を首席で及第した。朴珪寿・呉慶賜らの影響で、開化思想をいだいた。1881年、日本を視察し、福沢諭吉と親密となり、留学生派遣や「韓城旬報」の発刊に協力し、日本政府の援助を期待し、国王を啓蒙して上からの国家改革運動を積極的に推進した。守旧的な閔氏勢力は清国を背景とし、巻き返しをはかった。開化派は清仏戦争などの国際的条件を計算し、1884年12月4日、クーデタによる政権掌握をはかり、国王を擁して改革に着手した(甲申の変)。三日目、清国軍の攻勢にあって敗走し、日本に亡命し、小笠原諸島や北海道に軟禁された。1894年3月28日、上海で刺客洪鐘宇により暗殺された。開化思想の積極性は評価されるが、日本の侵略をひきいれる契機をひらいたともみられ、朝鮮近代史上の一つの論争点である。