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●金海 きんかい

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 韓国慶尚南道金海郡。この地は洛東江右岸の河口に近い地点にあり,『魏志倭人伝』には狗邪韓国,『広開土王碑文』には任那加羅とあり,さらに金官加羅(伽耶)・本加羅駕洛国とも書かれた。また洛東江下流域にあった加羅諸国中,北部の有力な高霊が大加羅といわれたのに対しで金官加羅すなわち金官国は南加羅ともいわれた。これは加羅連盟の南部のリーダーであったからである。金官国は盛んに海上活動を行い,西海岸では楽浪・帯方両郡と,南方では倭と交通していた。しかし6世紀に入って新羅が強勢となるやついに抗し切れず,532年には仇亥(仇衡)王(始祖首露王の10世孫)は王子らとともに新羅にくだり,新羅の王都に移り住み,仇亥王の子孫は新金氏として新羅で栄えた。そして旧領は金官郡となったが新金氏の食邑とされた。そして新羅の半島統一後の680年(文武王20)には金官小京となり,さらに景徳王代に金海京となった。高麗時代には金海府・臨海県・臨海郡・金州安東都護府・金州防禦使・金寧都護府・金寧県・金州牧・金海府と変遷がはげしかったが,朝鮮朝に入ってからは金海として定まり,今日に及んでいる。この地には金官国始祖首露王の首露廟・金海貝塚・王宮趾などの注目すべき古蹟があり,また金海城も邑内に存する。次に金海所産と伝えられる白磁がある。金海と呼ばれたが,これは朝鮮朝初期のものとされ,古くにわが国に伝わり古来茶人のあいだに珍重されている。

〔参考文献〕三品彰英遺撰「駕洛国記」『三国遺事考証』中巻,「五伽耶」同上巻