●祁連山 きれんざん
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中国の甘粛省西部,河西地方にあったとされる山。『史記』大宛伝に〈はじめ月氏は敦煌・祁連の間に居り……〉とあるように,元来は月氏の居住地であったが,漢の初め強大化した匈奴によって月氏が西におわれると,匈奴の右翼を形成する一大根拠地と化した。この地が漢の手に落ちたのは前121年(元狩2),霍去病の匈奴遠征のときで,この山を失った匈奴は〈われ祁連山をうしなう,わが六畜をして蕃息せざらしむ〉(『西河旧事』)と嘆いたと伝えられる。祁連が匈奴のことばで“天”を意味するとされることから,天山山脈東部を祁連山とする見方が唐代以来有力であったが,現在では一般に張掖・酒泉の南西に比定する説が有力である。なお,中国の現代地図では河西回廊の南を東西に走る山脈を祁連山脈と総称し,山脈中の一山(5,547m)を祁連山と記すが,歴史的にはまったく別個の命名である。