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●桐生絹 きりゅうぎぬ

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 上野国はすでに8世紀ごろから絹織物を産し,また,14世紀には桐生地方から伊勢へ絹を供出したことが知られる。しかし,桐生織物が全国へ流通するのは,享保期の越後屋他による桐生への出店開設以降のことである。1738年(元文3)には京都西陣から高機による新織技法が導入され,生産性が飛躍的に向上した。桐生機業は,[1]大消費都市江戸をひかえ,[2]近隣に原料供給地をもち,[3]入り組み支配のため領主の統制が微弱で,かつ[4]都市特有のギルド的規制も弱く,農村工業として発展しえたため,漸次西陣をしのぐ隆盛を示すにいたった。しかし,18世紀に入ると,後発の足利織物に圧迫され,また開港後は原料生糸の高騰に悩むなど,その生産は衰退した。明治以降は,政府の殖産工業政策による助成,国外市場の開拓や海外先進技術の導入,品質管理と流通組織の整備などにより,近代化を進め,国内屈指の生産額を誇った。第二次世界大戦により大きな打撃を受けるが,1950年代には回復。しかし,近年は,化繊の発達と安価な東アジア製品の輸入におされ,停滞を余儀なくされている。

〔参考文献〕桐生織物史編纂会編『桐生織物史』1935,国書刊行会