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●キリシタン大名 キリシタンだいみょう

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 キリシタンとなった大名たちの意であるが,明治期に活発な著作活動を行ったカトリック宣教師シュタイシェンの著が,1929年(昭和4)にビリヨン訳『切支丹大名史』,翌年に吉田小五郎訳註『切支丹大名記』として出版され,にわかに世の注目するところとなった。とはいえ,シュタイシェンでは明らかな棄教者や,推定人物らをもキリシタン大名としてかぞえ,かつ城主クラスも加え数十氏を挙げており,キリシタン大名の定義が漠然と拡大されている。厳密な意味で,戦国大名から幕藩制大名までを含め,信仰をまっとうしたものとしては,高山右近小西行長・黒田如水・有馬晴信・大友宗麟・大村純忠など10指に充たない。とはいえ,キリシタン宣教師らは,戦国下にあって,まず地方戦国大名に接近し,布教公認を得ることを先決とし,そのために南蛮貿易,ときには軍事的援助をあえてしてもその歓心をえようと努め,大名クラスの入信を図ったことも事実である。しかし,南蛮貿易とは無関係の高山右近父子の入信,そしてその感化により小西行長蒲生氏郷・黒田孝高父子,間接的には細川忠興夫人ガラシャなど多くの大名クラスの人々が,貿易と無関係に入信している事実,しかも秀吉の禁教令後の入信者が少なくない事実に注目させられる。とはいえ,幕藩体制の確立に伴い棄教者が増え,1613年(慶長18)以来の禁教令により有馬晴信は殉死,高山右近らは呂宋(ルソン)追放となって,キリシタン大名は絶滅した。そこに徳川政権によるキリシタンのもつ政治力の完全排除の政策があり,禁教鎖国への足固めがみられる。換言すればキリシタン大名領における集団改宗的現象はなくなり,キリシタン民衆自体の信仰として潜伏するエネルギーを形成することとなったのである。

〔参考文献〕海老澤有道『キリシタンの弾圧と抵抗』1981,雄山閣

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