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●ギリシア

ヨーロッパ ギリシャ共和国 AD 

 正式国名 ギリシア共和国 Hellenic Republic

【国名の由来】ギリシアという表記は,古代ローマ人がこの国をグラエキア(Graecia)と呼び,これがラテン的西方世界に広まったためで,古代ギリシア人はへラス(Hellas)と呼んだ。現在でもギリシア国民は,自国に関する事柄には,「ヘラスの」を意味するエレニキ(elleniki)と冠称する。古代ギリシア人のなかにも,自分たちのことを往古はグライコイと呼んでいたが,のちにヘレネスに変わったと考えていた人がある。しかしローマ人の呼び方は,イタリア南部,とくにナポリ近くのキュメ(Cumae)に,ボイオティア地方から移住してきたギリシア人のなかにグライと呼ばれた種族があり,これがしだいにイタリア移住ギリシア人全体をさすようになったため生じたといわれている。また,ヘラスの名は,ギリシア諸王家の共通の祖ヘレン(Hellen)に由来するといわれ,元来ギリシア本土中部の一地方名であり,のちにギリシア全体をさすようになり,古典期にこの用法は定着した。その理由は,ホメロスの叙事詩やデルフィの神託の権威が普及して行ったことに関連するとみられている。

【地形・風土】東地中海北側のバルカン半島南端にあり,国土は約13万平方kmで日本の3分の1強にあたる。80%は本土,残りが大小数多くの島である。本土のやや西寄りを北から南へピンドス山脈が走り,ペロポンネソス半島を通って東に曲りながらクレタ島をつくる。また,多くの支脈が南東に伸びてエーゲ海に没し多くの島をつくる。この第三紀褶曲山脈は2,000m級の峰を連ね,支脈中には古代ギリシア人が神々の座と崇めたオリンポス2,917mやギリシア正教の聖山アトス2,033mがある。これらの峰から落ちる中小河川に沿って,小さな盆地や平野が無数に開ける。国土の70%が山地で,日本よりやや少ないが,2,3の平野を除けばすべて狹隘で,古代から陸路は交通不便であり,逆に入江に富んだ海沿いが居住に適した。ピンドス山脈以西を除けば地中海性気候であり,冬期でも古来有名な北風は激しいが,多少の雨もあり,しのぎやすい。夏期の雨量は極端に少ないので,白い山脈をみせる石灰岩質の山肌と相まって,オリーブ・イチジクの栽培や羊などの小型家畜に頼る小規模農業しか育ちにくい。

【民族と宗教】人口約1,000万人で人口密度は日本の4.5分の1,ほとんどが地中海人種に分類されるギリシア人である。中背・黒髪・黒眼の議論好きで,旅人に親切な気性は古代ギリシア人の伝統を引いている。しかし6世紀以降のスラヴ族の侵入と定住,15世紀以降のオスマン=トルコによる支配,それらの間を縫うイタリア商業諸都市による占領などのため,混血が繰り返され,現代ギリシア人は古代のそれからかなりの隔たりをもつといわれる。また現代史的状況は,北部地方に少数のアルバニア人やブルガリア人をとどまらせている。ビザンツ時代からの長い伝統によってギリシア正教が深く浸透し,第二次世界大戦後の王制時代には国教とされたほどで,国民の97%が正教徒だといわれる。スパルタ近郊のミストラの教会群やテッサリアのメテオラの修道院群などが栄え,とくにアトスの修道院は1,000年にわたる歴史と神政共和国としての自治権をもち,ビザンツ芸術・歴史研究の宝庫となっている。

【言語】ギリシア語は印欧語系で,前1200年ごろと推定される線状B文字のなかに最初の姿を現す。この文字は早く消滅したが,古代ギリシア語には地名・神名のほか普通名詞でも本来のギリシア語と考えられない例がある。古代ギリシア語はいくつかの方言群をもっていたが,古典期にアテナイを中心とするアッティカ方言が優勢となり,ヘレニズム時代に入ると,この方言を基として東地中海全体の共通語コイネーができる。新約聖書がその一用例であり,ローマ帝国内ではラテン語と並んで公用語となり,東ローマ帝国はこの慣習を中世まで持ちつづけた。しかし,ビザンツ時代の教養人が好んで擬古的ギリシア語を用いたため,日常言語との差がひろがった。この傾向が現代にも残り,教養語である純正語カタレフサと日常の民衆語デモティカの差は,文法・用語ともに大きい。純正語使用は,トルコの圧制下で正教の聖職者を中心に,母国の文化を守る愛国的抵抗の一表現ではあったが,同時に,民衆語を積極的に用いて民衆の自覚を促そうとした文学活動の歴史もあり,現在でも公用語をめぐって深刻な対立が残る。現代ギリシア語にはイタリア系の言語を筆頭に,トルコ・フランス・ラテン系の言語も含まれ,この国の受難の名残りをとどめている。

【歴史と文化】歴史的活動の舞台としてみたギリシアは,エ一ゲ海を中央に,四方を海岸地帯と島々に囲まれた地域である。そして,政治文化の中心は南端クレタに始まり,ペロポンネソス半島に北上し,本土東南端のアテナイに移って盛期を迎える。ここで創造された古典文化は,北方マケドニアの力を媒介として東地中海全域から西アジアに及ぶ,ローマ帝国によってヨーロッパ全土へ伝えられる。しかし,そのときすでにギリシアは,現代に及ぶ長い受難の時代に入っていた。

ミノア文明】ギリシアには,中石器時代から小アジア系の先住民が居住したらしく,幾何学的細石器も出土しているが,前3000年紀前半には青銅器文化をもつ人たちがクレタに渡来した。彼らは優れた都市文化をもち,クノッソスを中心に前1700年ごろ盛期を迎えた。壮大複雑な王宮の壁画は,彼らが小アジア系であることを示唆する。オリエント風の王制をもち,未解読の絵文字や線状A文字で記録し,西アジア系の豊饒の女神を祭った。農業中心で羊を飼い,最盛期には東地中海の貿易を支配し植民市を建てた。王宮壁画は多彩奔放な人物像や海の生物で飾られ,金細工の装飾品や陶器・盃などの工芸技術も高度であった。

ミケーネ文明】前2000年ごろからイオニア・アイトリア系のギリシア人が北方から侵入してミケーネ王国を征服し,一部は小アジア沿岸の諸市を焼払い定住した。トロイもその一つとみられている。しかし彼らアカイア人は,先住民がもつ高度の文化を取り入れ,クレタ王国に似た王制を役人や書記をもっていた。そして陶器などの海上貿易を発展させながら,しだいにクレタの勢力に取って代わり,前1400年ごろにはクレタに侵入してその王国を滅ぼした。堅固な城塞遺構と,出土塁の豪華さは王権の強大さを象徴する。ホメロスの語るトロイの戦いもこの王国末期の事件と考えられている。

ドーリア人の侵入】前1200年ごろに始まる東地中海全域の民族移動の波のなかで,ギリシア語西方方言群のドーリア人が北方から本土へ侵入を始めた。彼らは鉄器文化の威力で,ミケーネ諸王国をまたたく間に滅ぼし,しかもアカイア人と異なり,先住民の文化に同化しなかった。侵入後の混乱は200〜300年間つづき,先住民の一部は征服を免れたアテナイを中継地に,エーゲ海東岸中央のイオニア地方に逃れ,残りは奴隷とされた。この時代にアテナイでつくられた陶器文は,ミケーネ風の写実から線条に変わり,しだいに高い芸術性をもつ精緻で厳格な幾何学模様に発展している。この変化は,ドーリア人との接触がもたらしたとみられ,のちの古典文化がもつ秩序・調和・完結性という特色の萌芽を示している。

【ポリス文明の幕開け】前8〜前5世紀初頭は,古代ギリシア社会が確定されてゆく過程である。この間の最も重要な出来事は,古代ギリシア社会の中核となるポリスの成立と植民市建設であるが,おそらくその幕開けのときに,ホメロス詩とギリシア文字が登場する。この叙事詩はミケーネ時代に題材を採っているが,登場する英雄はつねに栄誉を求めて競い合い,そのためには生命をも惜しまぬアキレスのような戦士である。ホメロスがのちに全ギリシアの教師と仰がれるのも,この誉れと競いの精神が古代世界を通してギリシア人の理想とされたためである。また新しい文字は以前の象形風で,使用者も王の書記に限られた文字とは違い,明快な表音文字であり,詩文をはじめ多様な用途にかなったものであった。

【ポリスの成立】ミケーネ時代の王権支配が崩れた後,氏族単位の小さな村落共同体が共同体としての本質を保ちながら,さらに大きく組織されたときにポリスが生まれる。ポリスの特質はクレーロス(「くじ」を意味するギリシア語)と呼ばれた土地の所有形態にみられる。彼らは伝統的に土地に対する所有意識が強かったらしく,一つの地域に定住を始めた段階で,公共の場で一定の耕地の配分を受け,その後の,この土地の私有を公共的に承認保護されたようである。そして,この形態が複合共同体としてのポリスのなかでは,厳格な法の下に世襲も認められるようになった。反対に,クレーロス所有がそのポリスの成員となる条件でもあり,ポリスの最終的な意思決定が成員全体が参加する民会で行われる段階で,自由と平等を原則とする古代民主制が成立する。ポリスは神殿や公共建築物を中心に,周囲に城壁をめぐらせた都市部とその外にひろがる農村部とからなる。この形は,初期ポリスで貴族層が外敵防衛と国内支配のため,一カ所に集住シノイキスモスしたためといわれる。スパルタでは,とくに被征服民の反乱に備える目的もあった。初期のポリスでは王と長老が統治にあたったが,実権は早く貴族層にわたった。これに対し小土地所有者は農民として,一般に農村に居住し,家族や少数の奴隷とともに自分で農耕牧畜を行ったが,ポリス経済の発展が農民層の貧困化を招くと,彼らはクレーロス制を守るために貴族と争いをおこし,しばしばポリスの危機を招いた。

【植民市の建設】前8世紀中ごろ以後の約200年間に,黒海沿岸をはじめ地中海のほぼ全域に多くの植民市が建設された。これは母市ポリスの人口増加によって耕地が不足したためと,頻発する政争の敗者が生じたためといわれ,海岸沿いや河口近くのオリーブ栽培に適した地が選ばれている。植民市とはいえ,政治・経済面で母市とは完全に独立し,農業とともにその産物を含めて周辺住民と交易も始めた。これにイオニアの先進植民市や本土のポリスも加わって,商工業の著しい発達をみた。また黒海沿岸を中心に奴隷貿易が盛んとなり,古典古代社会全体の特質である奴隷使役が各分野にひろがってくる。植民市がもつ自由な空気と海上貿易に伴って,オリエント先進国から入る知識に刺激されて,イオニアを中心にギリシア人特有の自然観察と合理的思索の追求が始まった。タレースなどの自然学者は,宗教・政治・経済実利にとらわれない考え方を示して,ヨーロッパ的な学問の出発点をつくった。レスボス島を中心に叙事詩も盛んとなった。

【スパルタの盛期】ポリス制度の成立過程で最も早く盛期を迎えたのはスパルタである。前7〜前6世紀のスパルタは詩と音楽の都であった。ポリスが催す華やかな祝祭行事には,少年少女の歌唱行列がつづき,各種の合唱団や器楽・体育の競技も行われた。他都市出身の詩人や音楽家が多く来住して活躍した。また自立排他の気性が強い古代ギリシア人を一つに結びつけたのは,神々と英雄の祭だったといわれるが,なかでも,有名なオリンピアのゼウスの大祭では前8世紀末から前6世紀初頭の間に記録された勝者名のうち,スパルタ出身者は半数を越える。全裸での競技とオリーブ油を全身に塗るギリシア人特有の習慣もスパルタから始まったとされている。この文化を支えたのは,絶え間ない戦争である。前8世紀後半に西隣りのメッセニアに侵入して多数の住民を奴隷とし,広く肥沃な耕地を奪うと,それを貴族と多くの平民に分配して経済的基盤を強化した。さらに,前7世紀末以降のアルカディア戦争で,それ以前の騎馬戦士に代わる重装歩兵ホプリテスの密集隊形が勝敗の鍵になると,歩兵となる多数の平民の地位が強まり,やがて国政の実権を握る。ここにはホメロス的な貴族戦士に対立する“ポリスと市民とのすべてに役立つ共同の善(テュルタイオス)”を守る市民兵士の理想像が現れる。そして,矛盾する一対の理想像が調和してギリシア倫理の柱となるのである。しかし,スパルタの民主制は反面で参政権をもたない多くの農民・手工業者と,とくに被征服農民を抑えるため,市民に対し軍事に専念することを求めることになる。このため,のちにリュクルゴスの改革と呼ばれる制度のなかにみられる独特の教育制度と方法が組織された。これは7歳から20歳までの男子をポリスが組織的に訓練するもので,後世奇祭として知られる鞭打ちの儀礼もこのなかに含まれる。なかでも18〜20歳の青年に課せられた市民=兵士としての訓練制度は,前4世紀以来アテナイを始め,全ギリシアのポリスで最もギリシア風な制度として採用される壮丁団エフェベーの原型である。

【アテナイの盛期】スパルタがいち早く民会中心の市民共同体をつくったのに対し,アテナイでは貴族支配が長くつづいた。そのあいだに商工業の発展と,奴隷数の増加が貴族と一部平民を富裕にし,農民の多くは逆に貧困に陥り,土地の収奪がすすんで奴隷化へすすんだ。当然両者の争いは激しく,前6世紀初頭のソロンの改革による貧困農民に対する市民身分の保障,僭主ペイシストラトスによる小農民保護策,同世紀末のクレイステネスによる血縁共同体の解体と地縁共同体の編成をへて,民主制への布石が終わった。前5世紀に入ると“大王”の専制帝国ペルシアとギリシア世界との死闘が始まる。マラトンでのアテネ軍の密集歩兵戦とサラミス海戦の劇的勝利が象徴するように,ギリシアはペルシアを破って最終的に地中海の支配権を握る。そしてアテネの主導下200に及ぶポリスが参加してデロス同盟が結成され,ペルシアの脅威に備える財政的基礎を築いた。これを機にアテネはギリシア最大の経済都市となり,ペリクレスの指導下で有資格市民全員による民主制ポリスが成立した。この盛期にアテナイが,建築・彫刻・絵画・悲劇・喜劇・思想・歴史などの各分野で永遠の古典となる傑作を次々と生み出した経緯を述べるのは,独立の大項目を要する。

【ヘレニズム時代】前5世紀後半の30年に及ぶアテナイ・スパルタ間の覇権争いはポリス世界の力を費消し,前4世紀のポリスは,それぞれにペルシアの外交に踊らされながら,党争と扇動政治に明け暮れて衰えつづけた。世紀後半,北方マケドニア王国がおこると,たちまちギリシア本土は征服され,スパルタを除く全ポリスに内政面の現状維持と,外交・軍事権の凍結を命じた。アレクサンダーの死の直後におこした解放戦争に完敗した前322年,ギリシアの独立は失われ,長い属国時代に入る。確かに,その後も反マケドニア戦争は企てられたが,スパルタでさえ国内の富の集中化が激しく,重装歩兵の密集隊形など望むべくもなかった。前2世紀初頭,マケドニアに代わってギリシアへ入ったローマはギリシア文化を愛好し,最初のあいだは寛容な主人であった。しかし,各ポリス内部で増大する貧困市民の不満と,これに乗じたヘレニズム諸王国の反ローマ策動のたびに,ローマのギリシア支配は厳しくなり,前168年ピドナの戦いにマケドニアを倒し,ヘレニズム諸王国を次々に属領化する過程で,ギリシアもついに属州の一つと定めた。

【ギリシアにおけるヘレニズム文化】この時代ギリシアの地における文化は,やはりアテナイを中心に栄えたが,それはもはやヘレニズム世界におけるいくつかの文化拠点の一つにしかすぎなかった。伝統を誇る哲学や弁論術は栄えたが,ヘレニズム文化の一特色である諸科学の研究では,アレクサンドリアやペルガモンに及ばなかった。哲学では前4世紀末までにアカデミア・リュケイオンエピクロス・ストアの学校がそろい,懐疑派キュニコス派もあって,他都市から多くの教師や学生を引き寄せた。ロードスでもストア派が栄えた。弁論術は教養学科として変貌するなかで,哲学をしのぐまでの評価を得て高等教育の主座についた。前2〜前1世紀には,エーゲ海東岸一帯に各種の学校が栄えた。そのなかでペルガモンの華麗誇大な“アジア風”弁論に対し,ロードスの学校は冷静で節度ある“アッティカ風”弁論によって遠くローマからも学生を引きつけた。これらがビザンツ時代をへて現代ギリシアに残る教養語の祖型である。しかしこの時代の文化は,もはやギリシア固有の地に限定して語るものではなくなっている。

【ビザンツ時代】東ローマ帝国内でのギリシアは,行政上マケドニア内の一地方にすぎなくなる。そのなかでもアテネは依然として最高の学芸の都の一つであった。しかし,とりわけアカデミアの哲学が新プラトン派の神秘的色彩を強めていったため,新興のキリスト教の教義とのあいだに1種の競合を生み,これが原因となって529年に異教の府と断罪され,勅令をもって閉鎖され,教師たちはペルシアに逃れたという。6世紀に入ると,スラヴ族の北方侵入が始まり,本土内陸部をはじめ,7世紀前半にはペロポンネソス半島の一部にまで定住した。その結果,東ローマ帝国内にあって古代ギリシアの歴史を伝える地方は,北東部のトラキア地方と,テッサロニキからアテナイにいたる沿岸地帯,それにペロポンネソス半島とエーゲ海の島々に限られるまでになった。11世紀に入り,東ローマ帝国の衰退,ヴェネツィアなどイタリアの諸商業都市の東方貿易進出および十字軍遠征のなかで,ギリシア各地がこれらの勢力に占領される。このような歴史の流れのなかで,文化はスパルタ近くのミストラのように文人都市として栄えた例外もあるが,全体としてみれば,教会と修道院の内にその命脈を保っていたにすぎない。強いていえば,イタリアの進出を媒介として,西方世界の新しい息吹きが少し伝わったことであろう。

【近代以後】15世紀中ごろに東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン=トルコはギリシアの地にも侵入し,以後400年間きわめて苛酷な支配をつづけた。有能な人間は殺され,婦女子は奴隷として売られ,正教会を通して人頭税を課したため,全土が非常に疲弊した。ただトルコ人は商業活動に適しなかったので,ギリシア人はこの方面で生き延び,18世紀のヴェネツィアの衰退に乗じて,黒海から地中海にわたる海上貿易で巨富を積み,これが独立戦争の資金源ともなった。18世紀初頭からオスマン帝国の力は衰え始め,これに乗じて帝国周辺のヨーロッパ系諸民族が次々に自治から独立へと成功するなかで,ギリシアも18世紀後半のペロポンネソス反乱には失敗したが,19世紀前半の独立戦争では列強の権益がらみの複雑な環境のなかで,バイロンなどの熱狂的な支持者を加えて独立に成功した。しかし,本土北方やクレタなど古代ギリシアの多くの部分は依然としてオスマン帝国領であり,20世紀に入って,バルカン戦争と2度の世界大戦の後にこれら古代ギリシアの地は,ほぼギリシア人の手に返った。しかし国力は貧しく,全人口の3分の1くらいがアテナイ・ピレウス一帯に集中しているほか,2,3の近代都市はあるものの,労働人口の半数近くは小規模農民であり,しかも古代と同じく,現在でも穀類や食肉を輸入に頼っている。外資導入による工業化も行われているが,小規模な商工業が多い。文化面では,トルコの圧制下から培われてきた文学活動が注目される。すでに述べた言語分裂に悩みながらも,民族意識を高めるための努力がつづけられ,独立戦争後ソロモース・プシハーリスをへて,ノーベル文学賞受賞詩人のセフェーリスエリーティスを生んでいる。

〔参考文献〕マルー『古代教育文化史』1985,岩波書店

澤柳大五郎『ギリシアの美術』1964,岩波新書

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