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●魚鱗図冊 ぎょりんずさつ

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国において,税を課徴する基礎とするためにつくられた帳簿・土地台帳の一種。単に魚鱗冊ともいう。

【宋元時代の魚鱗図冊】魚鱗図冊は脱税などの不正行為を防止し,税の課派を公正にするための材料をうるためにつくられたものである。現在,明清時代の魚鱗図冊は広い地域にわたって多く残っているが,宋元時代の魚鱗図冊は残っているものが少ない。宋代の魚鱗図冊は,浙江・江南の一部の地域でつくられたようである。それは魚鱗図があり,そのあとに,1号(一定の区域を細分した最小単位の土地,いわゆる一筆の土地)の字号・形状・面積・地目(田とか畑というように,利用上から分類した土地の種目)・四至(東・西・南・北の境界)および土地の所有者が記され,ある範囲内の号をまとめて1冊の帳簿に編成した。南宋の時代には,魚鱗図冊を経界図籍・図簿などとも呼んだ。元代には,魚鱗図冊は流水と呼ばれ,造冊の目的・内容は宋代のものとほぼ同様であった。

【明代の魚鱗図冊】明初の太祖(洪武帝)は富民が脱税のための不正行為をするので,その防止のため,全国いっせいに土地測量を行って魚鱗図冊を作成した。これについて『明史』巻77・食貨志田制に〈洪武20年,国子生武淳らに命じ,州・県に分ち行き,糧にしたがって区を定め,区に糧長4人を設け,田畝の方円をはかり,次に字号をもってし,ことごとく主の名および田の丈尺を書し,編類して冊をつくる。状は魚鱗のごとし。名づけて魚鱗図冊という。これよりさき,天下に詔して黄冊を編し,戸をもって主となし,つまびらかに旧管(旧時の人丁事産の額)・新収(そののち増加した丁口,買得した事産)・開除(死亡あるいは出嫁した丁口,売却した事産)・実在の数をそなえ,四柱式となす。しかして魚鱗図冊は土田をもって主となし,もろもろの原坂・墳衍(おかと低地)・下濕(低湿地)・沃瘠(肥沃とやせている)・沙鹵(砂地と塩気のある土地)の別ことごとくそなう。魚鱗冊は経となり,土田の訟をただす,黄冊は緯となり,賦役の法定まる〉とある。これは税糧の多少によって一定区域を定め,区域ごとに糧長4人を置き,里長・甲首・老人を集めて,区域を細分した最小単位の土地,いわゆる一筆の土地(号)ごとに実地測量をし,その土地の方円すなわち形状・字号・所有者名・周辺の丈尺および四方の境界を書きしるしたものを帳簿とし,その帳簿のはじめに一定区域の総図を載せた。それが一筆ごとに細かく区切られて,魚鱗のようであったので魚鱗図冊と呼んだという。記載事項については,そののちの土地所有関係の変化に応じ,また地域の特殊性に対応して,その形式・内容に若干の差異が生じてきた。なお前記事に,魚鱗冊は経となり,黄冊は緯となり,とあるように,賦役黄冊とあいまって,税と役とを決定する基礎の台帳となった。

【清代の魚鱗図冊】清代になると,魚鱗図冊の作成・使用はさらに広まった。しかし,これは各地方でいっせいに作られたものではなく,早いものは17世紀の中ごろから作られ,さらにそののちに改めて作られたものもあり,今まで魚鱗冊のなかった地域も清末には作成されるようになって,賦役全書と合わせて税額を決定する基礎として用いられた。

〔参考文献〕仁井田陞「支那の土地台帳魚鱗図冊の研究」東方学報(東京)6,1936

鶴見尚弘「国立国会図書館所蔵康煕十五年丈量の長洲県魚鱗冊一本について」『山崎先生退官記念東洋史学論集』1967,大安

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