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●漁法 ぎょほう

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 四面を海に囲まれ,豊富な水産資源に恵まれたわが国は,古くからさまざまな水棲動物や植物を捕獲対象とした漁具・漁法を海・河川・湖沼を舞台として発展させてきた。漁業がほかの第一次産業に比べて特殊的であるといわれるのは,その生産環境や労働過程の特殊性からきている。漁業が可動的な水棲動物を捕獲対象としている点においては,周年的な農業よりはむしろ狩猟と共通している。しかし捕獲にさいし,深さを伴う水という流体を活動の場としている点で狩猟と決定的に異なる。漁労活動における生産手段である漁具・漁法は,水棲動物の生息条件である川や海の自然科学的諸条件を経験的に十分体得した上で形成された漁民の技術体系として理解される。漁法の種類は,小は河川でのウロヅカミ・コイダキ(鯉抱き)などと呼ばれる素手掴みから,大は捕鯨船団による漁法にいたるまで,きわめて多種多様であるが,ふつう使用する漁具によって,網漁法・釣漁法,そのほかの雑漁法の三つに大別し,さらにそのなかで細分する。

【網漁法】網を使用する方法は,釣漁とともに漁法の中心をなす。漁網の種類は使用形態から次のように類別できる。[1]抄網(すくいあみ)類 枠(わく)で網の周囲を支え,魚類をすくいあげるしくみのもの。タモアミ・サデアミなど。[2]掩網(かぶせあみ)類 水上から魚類にかぶせるもの。投網はこの種の代表。[3]曳網類 岸あるいは船にひきよせて捕獲するもの。地曳網船曳網があり,船曳網には,水の表層を曳く浮曳網と水底を曳く底曳網の別がある。トロール漁は底曳網の進歩したもの。[4]旋網(まわしあみ)類 おもに海の表層の魚群を囲み,船側にくりよせて捕獲するもの。巾着(きんちゃく)網や揚繰(あぐり)網はこの形の進歩したもの。[5]敷網類 水中に網を敷き,その上に集まる魚群をすくいあげるもの。四手(よつで)網・棒受(ぼううけ)網・四艘張(しそうばり)網・棒敷網などがある。[6]刺網(さしあみ)類 魚そのほかの海棲動物を網目にかけて捕獲するもの。浮刺網底刺網の別がある。海の表層に張り,潮流にただよわせる流網(ながしあみ)もこの類である。[7]建網(たてあみ)類 定置網と呼ばれる。魚群の来遊する場所に網を定設して捕獲するもの。西日本の大敷網,東北太平洋岸の大謀網,北海道地方の行成(ゆきなり)網,伊豆半島の根拵(ねこざい)網,富山湾の台網など,構造も呼称も地方ごとにさまざまである。

【釣漁法】釣漁は一本釣と延縄(はえなわ)釣に大別され,前者は手釣と竿釣に,後者は設置する水中の層によって,ウキハエナワ(表層)とソコハエナワ(水底)の別がある。延縄釣は船からいく本もの釣針をつけた縄をおろすタテナワから発達したものといわれる。その最も原初的なものは利根川などで行われるオキバリで,ヨシもしくは竹を1.2〜1.5mぐらいに切り,それに針をつけた糸を90cmぐらいおろし,夕方置いて翌朝とりにいく漁法である。竿・釣糸・釣針・浮子(うき)・沈子(おもり)・餌を釣の六具と呼ぶが,それぞれ複雑な発達をとげている。釣針はごく古くは骨角製のものが用いられたが,鉄製のものも古くから用いられ,今日のその形状には地域的に丸の西南型,直軸の東北型,角の中部型があるとされる。釣糸はもと手製したというところが多く,もとクズ・フジなどの木の内皮が用いられたが,中世末期からアサ糸,近世初期にテグスが使用されはじめた。戦後の繊維革命により現在はほとんどビニロン・ナイロン糸が用いられている。餌料は,初め虫類やキリエデなど切った魚が用いられたが,魚種によっては生餌(いきえ)を使用しなげればならない。のちカバシ・コマシなどという撤き餌が工夫されて,集魚・誘魚の方法が進んだ。擬餌(ぎじえ)と針が一つに結合した擬餌針(ぎじばり)も徐々に発達した。網漁と同じく,釣漁も近世に入ると飛躍的に発達し,とくにカツオの竿釣,サバ・アジの手釣,タイ・サメ・タラなどの延縄漁に,新しい漁法が開発された。明治末年から機械船が導入されて,沖合漁業・遠洋漁業が本格的に発達すると,海の釣漁ではカツオ釣・マグロ延縄が日本の水産界で重要な位置を占めるようになった。釣漁の発展に伴って技術の熟練した釣師が要請され,船主は確保に意を用いた。三宅島の阿古ではカツオ船の乗子に対して平素2〜3反の耕地を無償で耕作させ,南伊豆では乗組員に男児が生まれると祝い餅を送ったり,エビス銭を与えて将来の乗り組みを約束した。

【雜漁法】網漁・釣漁以外のものを一括して雜漁法もしくは特殊漁法と呼ぶことにする。[1]突き漁:銛(もり)や鉾・鈎(かぎ)などで水中の魚介を突いて捕る漁法の総称。これには磯や船上から水中をのぞいて突くものと,潜って突くものとがあり,その呼称もイソミ・フナイソ・フシヅキ(フシは銛のこと)・カナギなど,地方ごとに区々である。銛も一つ叉・二つ叉・三つ叉など漁獲対象によって有効なものが用いられる。水中をのぞく際に箱眼鏡が使用される以前にはナシフリ・トラセなどの方法をとった。これは竹筒に魚油やイカのワタを入れてもって行き,これを海面に流して波を鎮めて水底をのぞく方法であった。南島一円の突き漁はほとんど潜りによるもので,魚をユンヤー(魚の家の意。珊瑚礁の穴)に追い込んで突く。[2]陷穽(かんせい)漁法:ウケ・カニカゴ・タコツボなどのように,器具を水底に沈設して魚類を陷れてとる漁法。タコは石の多いところで石を積んで穴をつくり,そのなかに隠れているという。タコツボ漁法はこの習性を利用したものである。周防大島地方のタコツボは約100尋の縄1本に通常50〜90個の素焼きの壺をつけ,1艘の船で5〜6本積んで操業する。縄の両端には以前は桐の木か麦藁の束をくくりつけてウキにしたが,現在はガラス球かプラスチック製の浮標を用いている。乗組員は1艘にふつう2人で,以前は櫓を押す作業とくりあげる作業を分担した。くりあげる作業が大儀だったので,船ばたにつけたコロを利用したが,今は機械力を利用している。最近のタコツボはなかに餌が入っていて,タコが餌に食いつくと,ゴム仕掛けで蓋が落ち,いったん入ったタコは出られぬしくみになっている。[3]簗(やな)漁:ヤナは河川に敷設される漁獲装置の一種である。多くはアユ・マス・サケ・ウナギなどを対象とし,河川を溯上する魚を捕えるものを上簗(のぼりやな),降下する魚を捕えるものを下簗(くだりやな)という。ヤナの構造は,簗袖(誘導部)と簗口(陷穽部)に分かれる。やな漁は定置的強制的性格をもつ。この装置をセットすることを「ヤナをウツ」という。[4]えり漁:主として流れの静かな,比較的浅いところに木竹や簀を立てまわし,魚族を最も奥の狭い魚溜めに誘致して捕える方法で,エリ・スダテ・ハゼなどと呼ばれる。魚溜めに入った魚は釣引具やタモ網などですくいあげる。エリは一種の定置漁具で,古くから各地の湖沼や河川もしくは内湾で行われてきたが,琵琶湖のそれは有名である。定置網にはこの漁法からきたと思われるものが少なくない。[5]鵜飼(うかい)漁:鵜を使って魚を捕る漁法で,もっぱら淡水面で行われる。鵜はかつてはカワウも使われたが,今はウミウを使っている。捕獲の対象はアユがおもであるが,ハヤ・ウグイ・コイなども捕る。長いあいだ貴族や大名の保護のもとにアユ献上の義務を負う鵜使いによって行われてきたが,現在では観光事業として行われている。[6]毒流漁:もっぱら淡水面で行われる漁法で,ヨワセカワ・ムラナガシ・タデナガシ・ネナガシなどと呼ばれている。山椒の樹皮の液汁や,蓼(たで)の葉をもんで出る液汁などを流し込み,酔って浮きあがるのを捕る漁法である。現在は禁漁である。

〔参考文献〕山口和雄『日本漁業史』1947,生活社

日本学士院編『明治前日本漁業技術史』1959,日本学術振興会

柳田国男・倉田一郎『分類漁村語彙』1975,国書刊行会

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