●玉門関 ぎょくもんかん
アジア 中華人民共和国 AD
中国前漢のとき,甘粛省の西部に設けられた関所。設けられた時期は明らかでないが,武帝の治世で前108〜前107年(元封3〜4)ころと考えられる。武帝は北肩の強敵匈奴に打撃を与えるため,同じく匈奴を敵としていた大月氏と同盟を結ぼうとして張騫を派遣した。同盟は失敗したが,彼がもち帰った西方諸国に関する情報は貴重なもので,武帝はこれをもとに対匈奴作戦をねり直した。河西(現在の甘粛省)の経営に乗り出し,武威・酒泉に屯田するとともに,長城を酒泉からさらに西方に延長して敦煌郡を置き,最西端に玉門関を置いて守りを固めたのである。東方の陽関とともに西域諸国に行く西の玄関で,これより西方に旅することを「出塞(しゅっさい)」といい,これにちなむ古詩が多い。遺跡は現在の敦煌県の北西約100kmにある小方盤城にあたることが,当地から発見された木簡によって証明された。その後,南北朝時代に東に移されたらしく,隋唐時代には今日の安西県の東方に置かれていた。
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