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●極東国際軍事裁判 きょくとうこくさいぐんじさいばん

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 第二次世界大戦における,日本の主要戦争犯罪人を処罰するため,東京に設置された極東国際軍事裁判所で行われた裁判。

【概説】日本への報復政策の一つとして行われたもので,裁判所は1946年(昭和21)1月19日,連合国最高司令官マッカーサー元帥の命令で設置され,審理は1946年5月3日開始,1948年(昭和23)12月12日判決が下り,絞首刑7人,終身禁固刑16人,20年および7年禁固刑各1人が宣告された。

【裁判所条例】裁判所設定の根拠がポツダム宣言にあること,それを遂行する権限がマッカーサー元帥に与えられていることなどを明らかにした同元帥の「特別宣言書」と,「極東国際軍事裁判所条例」から成る。後者は全17カ条で,第1条において〈極東ニ於ケル重大戦争犯罪人ノ公正且迅速ナル審理及ビ処罰ノ爲メ〉と設置の目的を明らかにし,かつ常設地を東京とすると定めた。第2条以下で,裁判所の構成・手続きおよび審理される犯罪などを明示した。これにもとづき,米国ほか10カ国の代表11人の裁判官が任命され,その中のオーストラリア代表ウェップが裁判長に任命された。また審理の対象となる犯罪は,第5条において,次のように三種にわけて定められた(原文引用)。(イ)平和ニ対スル罪即チ,宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争,若ハ国際法,条約,協定又ハ誓約ニ違反スル戦争ノ計画,準備,開始又ハ遂行,若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。(ロ)通例ノ戦争犯罪 即チ,戦争ノ法規又ハ慣例ノ違反(ハ)人道ニ対スル罪 即チ,戦前又ハ戦時中為サレタル殺人,殲滅,奴隷的虐使,追放,其ノ他非人道的行爲,若ハ犯行地ノ国内法違反タルト否トヲ問ハズ,本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪ノ遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為。

【戦犯容疑者の逮捕】総司令部は,9月11日東条英機大将ら戦犯容疑者の逮捕を司令し,即日同大将を逮捕したのを始め続々と逮捕した。この間,これを潔しとせず自決した人もいた。近衛文麿もその一人である。なお起訴された人は28人であった。

【起訴】キーナン検事団は12月6日到着し,裁判準備は本格的段階に入った。起訴状は開廷の4日前に被告に発された。原告は米国・英国・中国・ソ連を含めた11カ国である。訴因は第5条所定の三種の罪にもとづき合計55項目にのぼった。検事はこれらの訴因について起訴状を提起して,被告の個人的責任を追及した。日本政府(東久邇内閣)は,戦犯裁判は日本側で行うことを決定したが,総司今部に一蹴され,以後は戦犯裁判にかかわらない姿勢をとった。また弁護人の選定は容疑者個人任せとなり,開廷までに24人が決まった。なおアメリカ人弁護人は20人を超えるときがあった。

【判決】審理は約2年間つづき,1948年4月16日終わった。この間多数の証人が法廷に立ち,あるいは供述書によって証言した。日本側弁護団は非力ではあったが,〈皇室に累を及ぼさない〉という最高方針を貫いた。また清瀬弁護人が開廷早々行った裁判長忌避の動議や,ポツダム宣言の時点で犯罪の定めのない〈平和に対する罪〉,〈人道に対する罪〉を裁判する権限は本裁判所にないとし,また太平洋戦争以前の戦争や事変についての管轄権はないとする同弁護人の冒頭陳述は,キーナン検事によって反論されたが,法理論として・かに明快で,説得力に富む。しかし判決は既述のように,被告25人(裁判中に松岡洋右・永野修身が病死し,大川周明が精神病で免訴となった)全員有罪で,極刑7人を含む苛酷なものとなった。この判決にはインド判事パルが反対意見を述べた。死刑の執行は12月23日巣鴨刑務所で行われた。

【結び】東京裁判は,ニュルンベルク裁判とともに,戦争に関する法の権威を飛躍的に高めたことによって,戦争のルールと戦場におけるヒューマニズムの確立に歴史的寄与をなすものと期待される。しかしそれには,東京裁判が陥った“勝てば官軍”的過ちと偏向に,深い反省と将来に対する戒めが伴わなければならない。

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