●漁業 ぎょぎょう
AD
漁業は,狭義には営利を目的として水界(海・湖沼・河川)における生物を採捕する第一次産業をいう。広義には,水産生物の採捕または水産養殖業や水産加工業をも含め水産業と同義である。漁業の経営は,漁船・漁具などの資本と,漁業労働および漁場という三つの要素を結びつける行為のすべてである。さらに地方的および歴史的な条件との相関関係が,漁業経営のもろもろの形を形成している。
【漁業の構成】漁業は,漁具漁法で網漁法(刺網・引網・敷網・巻網・定置漁業に分類)したり,漁獲対象の種類で,漁業・採藻業・採貝業・海獣猟業という分類方法がある。さらに釣漁業(一本釣・はえなわ漁業に分類)・雑魚業に分類する方法と,行政制度による分類がある。最も広範囲に使用されているのは,漁場の性質・距離に従っての分類である。すなわち内水面漁業においては,河川漁業および湖沼漁業に分ける。海面漁業においては,海洋漁業(遠洋漁業および母船式漁業ならびに海外漁業)・近海漁業(沿海漁業および沖合漁業)とに分類する。海面の漁場で分ける方法は,漁船が保有するところの構造装備とか,経営規模の大小および技術の段階を示している。漁業は,何といっても,とくに潮流および気象などという自然条件が影響するところが,今日においてさえきわめて多大であるからして,これに対応するとともに,苦心しながらでもこれらの自然条件を克服しながら,しかもすばやい機動性を駆使しながら,いかにして漁獲能率を向上させるかという永遠の課題を,漁業それ自身が抱いている。このためには,当然のことではあるけれども,漁場の規模および範囲に適合した漁労の組織および生産手段を必要としているというも,けっしていいすぎではないであろう。したがって,大定置漁業における場合はやはり別として,ふつうの小資本の漁業者たちは,条件によっては日帰り程度の沿岸漁場に集まるということもありうる。そして,動力付きの漁船を使うときでも技術段階は遅れていて,これらの船における乗組員もきわめて少数である。これら沿岸漁場および遠洋漁業の中間に位置するのが沖合漁業である。沖合漁業は企業的にみると,やや大規模な程度を中形漁船を使用して行っている。雇用されたところの労働力が多く見受けられるとともに,数日に及ぶ操業の日数でもって,遠くの漁場までその住んでいる村などから航海して,あるいはあちらこちらと数日間移動を続けながら,魚の大量にいるところを探し求めて操業を行うことも多いため,漁業技術の段階は高度であるとともに,機動力の大きな漁船を使用している。代表的でよく使用される網は,たとえば,きんちゃく網・あぐり網・機船底引網そして捧受網などを使用し,ときには沿岸漁場と近いこともあるため,沿岸漁場の漁民とトラブルをおこすこともあるとともに,漁獲の競争は,同種の企業のあいだでも行われる。遠洋漁業の場合は,沖合漁業よりさらに遠くの距離における漁場で操業をするため,ときには2,000tから3,000tというような大型の漁船も使用されている。たとえば北洋母船式引網漁業・トロール漁業ならびにカツオ・マグロ漁業などが,遠洋漁業の代表的なものである。もちろんその漁業の規模は,漁場が遠方になればなるほど大きなものとなるのは必然であって,国外における基地利用もあるし,または母船8,000t以上を中核とした船団の組織を形成することもある。これらの実例としては,アフリカ沖・北極海における大型のトロール漁業,および北洋におけるサケ・マス漁業ならびに南方におけるマグロ漁業などが存在する。このような遠洋漁業においては,巨大漁業の資本力は決定的な強大さを示している。
【漁区】漁業の操業上において,各種の規定で定められた,特定の水面の区域を漁区と呼んでいる。限られた貴重な水産資源に対して,漁獲を無思慮かつ無制限に行うことによって生じる,資源の減少を防止するためにも,そして一方においては,魚を競争でとることにより,たとえば,部落間における紛争および釣魚業者と網漁業者とのあいだに起こる争い,ならびに国際間における規模の大きな漁業に関する紛争などを未然に防止するためにも,いろいろな制限を漁業操業に対して行うことがしだいに必要となってきた。そして漁業操業に関する各種の制限の方法としては,たとえば禁漁区および禁漁期を設定するという方法もあるが,このほか漁業の活動を時期を特定して限定したり,あるいは特定の区域だけに漁業活動を限ったり,または特定の区域においては漁船の隻数を制限したり,漁法および漁具を制限することによって,これらの目的を達成しようとするところの方式もとられている。これらを漁業者間の協定としたり,漁業権制度のなかに取り入れることを行ったり,行政庁の許可内容としてうまく運営したり,ときにはまた,ちゃんとした国際条約として締結させたという実例も存在する。このような場合における漁業上の特定区域をさして,漁区ということが多いのであって,すなわち,このような区域に関して,日本および中華人民共和国の漁業者とのあいだで締結された日中民間漁業協定(1955年に結ばれて以来数回に及んで延長され,1970年にまた2年延長された)では,緯度・経度で示された六漁区に関して,機船底引網漁船の操業隻数が協定された。この日中民間漁業協定はその後において,日中漁業協定すなわち,日中の国交が回復するとともに1975年(昭和50)の12月に,「日中間に関する協定」が,3年間の政府間協定として発効したのである。
【日本の漁具の歴史】石器時代には,たとえば釣針は樹枝のトゲや自然の樹枝の一部を利用した。足利時代のころからは,手ぐり網・地引網(わらなわ製品)・四つ手網が大形に進歩し,敷網・建網・刺網(イワシ・ブリ底刺網)も出現した。とくに足利時代後期にニシン漁が北海道方面で発達し,大網(起こし網)・刺網・建網(行成・ゆきなり網・角網)を使用した。土佐・紀州で捕鯨が発達し,銛(もり)や矛(ほこ),剣を使っての突取りから網取法へと進歩した。イワシ網でも,九十九里浜の地引・内海の船引を初め,四そう張網・八つ手,もしくは八田網・二そう張網・あぐり網・捧受網・台網・刺網,その他いろいろな漁具が全国的に出現した。カツオは一本ざお釣とは別に,巻網でもとった。マグロとカツオは,一本釣・はえなわ・巻網・建網・流し網・引きなわ・鈷突きなどで多くとった。ブリは建網・釣具でとった。さらに,タイかずら網・手ぐり網も使った。明治時代は,1897年(明治30)ぐらいまでの第1期では,敷網・地引網・底刺網の沿岸漁法は頭打ちとなったので,流し網・うたせ網・巻網などの沖合漁法が発達した。改良あぐり網・きんちゃく網・角網も現れた。麻網は綿引網に変化した。1897年(明治30)以後の第2期は,沖合漁具漁法が沿岸漁具漁法と変わった。1897年(明治30)以後は,ノルウェー式汽船捕鯨,1905年(明治38)にはイギリスの汽船トロールを輸入し,1906年(明治39)には,富士丸が発動機を初めて付けてカツオ漁を行った。アメリカ式タラ釣漁法も行われた。大正時代は,遠洋漁業・海外漁場関発・機船1そう回しイワシきんちゃく網・機船2そう回しイワシ改良あぐり網・機船底引網・母船(工船)式カニ刺網・サケ-マス流し網(沖取)漁業も出現した。母船式レンコダイはえなわ漁業は,長崎を根拠地に近代化された。外国から輸入した漁具は,帆船ビーム=トロール・ラッコ=オットセイ猟アメリカ式きんちゃく網・汽船オッター=トロールが注目される。ベーリング海の底引漁タラ・カレイなどの魚糧工船,一方においては1931年(昭和6)南洋の真珠貝採取漁業,1937年(昭和12)以後,第二次世界大戦の終わりまでは深海サメ漁業・1948年(昭和32)電気集魚灯利用のサンマ棒受網・伊勢湾のカタクチイワシ漁バッチ網・音響魚群探知機と合成繊維網が発明され普及し,電気捕鯨や平頭弾も現れ,この方法は捕鯨禁止まで行われた。
【水産物の需給構成】わが国における近年の水産物の総供給量は,年々増加する一方であって,1932年(昭和57)における魚介類(鯨類および海藻類を除く原魚換総値)の総供給量は,1,231万tであった〈このうち国内生産量は,さば類・カレイ類・するめいかなどの生産が減少したものの,イワシ類の豊漁に支えられ,1982年(昭和57)には,前年をわずかに上回り1,078万tとなった。そのなかで非常食向け供給は,イワシ類の生産増により増加したのに対し,食用向けはほぼ前年並みの710万tであった。輸入については,国内生産との関連から非常食向けが前年より5割近く減少したが,食用向けは,サケ・マス類およびイカ類を中心として,1981年(昭和56年)に引き続き増加した。一方,需要の動向をみると,国内消費は,1982年(昭和57)には前年を2%を上回り,133万tとなった。このうち,772万tが食用向けである。また輸出については,1982年(昭和57)にはイワシの缶詰が伸びたものの,さば類の缶詰や,カツオの冷凍品の輸出不振により食用向けは前年に引き続き減少した反面,非食用向けは,魚粉の輸出の増大により前年を84%上回る大きな伸びを示した〉(「昭和58年度漁業の動向に関する年次報告」第101回国会(特別会)提出)。以上述べたところが,わが国における水産物に関しての需給についてのだいたいの動向であるということができるであろうと思われる。
【漁業生産の動向】わが国における漁業生産の動向は,第101回国会(特別会)に提出されたところの,昭和58年の「漁業の動向に関する年次報告」にもとづいてこれを述べると,だいたい次の通りである。すなわち〈1982年におけるわが国の漁業生産量は,1,139万tと前年に比べ0.6%増加し,1980年(昭和55)以降3年連続して1,100万t台を維持した。これを漁業部門別にみると,遠洋漁業の生産量は,近年横ばいで推移してきていたが,1982年は前年に比べ3.5%減少し209万tとなった。このうち,前年に比べ大きく減少した漁業種類は,遠洋底びき網漁業・以西底びき網漁業・遠洋かつお一本釣漁業などである。遠洋底びき網漁業が減少したのは,主として米国の対日漁獲割当が大幅に削減されたこと,1982年3月にモーリタニア水域から撤退したことなどによるものである。以西底びき網漁業は,全般的に魚類の生産が低調であったためである。遠洋かつお一本釣り漁業は,海外まき網への転換による隻数の縮減などにより,前年に引き続き減少した。一方,生産量が前年より増加した漁業種類としては,遠洋まぐろはえ縄漁業・あかいかを対象とした,いか流し網漁業などがあり,遠洋まぐろはえ縄漁業は,めばちおよびきはだの生産量が増加したためである〉。次に,沖合・沿岸・内水面漁業の生産量について述べてみたい。〈沖合漁業の生産量は,順調に伸びてきており,1982年には前年より2.2%増加し,607万tとなった。これは,まいわし・かつおおよびまぐろ類の好漁により,大中型まき網漁業・あぐり網漁業が生産を伸ばしたことと,さんま棒受け網漁業の好漁によるものである。なお,いか釣り漁業・近海まぐろはえ縄漁業は生産量が減少した。沿岸漁業の生産量は,前年に比べ0.4%増加し,再び300万t台となった。これは,小型底びき網漁業・船びき網漁業・定置網漁業・海面養殖などが前年より減少したものの,あぐり網漁業・さんま棒受け網漁業など多くの漁業種類が好調であったことによるものである。海面養殖業を除いた沿岸漁業についてみると,前年に比べ1.7%増加し,207万tとなった。海面養殖業の生産量は,前年に比べ2.2%減少し,94万tとなった。これはわかめ類・ほたてがいなどが増加したものの,のり類が海流が悪かったことなどにより減少したことによる内水面漁業の生産量は,ほぼ前年並みの12万tであった。内水面養殖業は,うなぎを初め全体的に生産が伸び,前年より4.8%増加し10万tとなった。1982年の生産量をおもな魚種別にみると,前年に引き続き,いわし類が増加し360万tとなり,海面漁業生産量全体の35%を占めるにいたった。すけとうだらは,1978年(昭和53)以降横ばい状態で推移し,1982年は157万tであった。さば類は,1978年(昭和53)の163万tをピークに減少を続けており,1982年には73万tとなった。いか類は,するめいかが前年より減少したものの,あかいか等が増加したため,全体としては前年より増加した。そのほか,まぐろ・かじき類・かつお類が増加した。1982年の漁業生産量は2兆9,772億円で,前年に比べ6.7%(1,881億円)増加した。これは,遠洋まぐろはえ縄漁業・かつお・まぐろ類を対象とした大中型まき網漁業などの好漁と,いか類およびさんまの価格が大幅に上昇したことによるところが大きい。1983年における漁業生産の動向を部門別にみると,遠洋漁業については,米国水域での漁獲割当量が削減されたこと,アルゼンチン水域のいかが不漁であったことなどにより,1982年を下回るものとみられる。また,沖合および沿岸漁業については,主要水揚港の水揚量の動向からみると,まいわし・さば類・さんまなどが前年に比べ,かなり生産を伸ばしているので,1982年をやや上回るものと思われる〉(「昭和58年度 漁業の動向に関する年次報告」第101回国会(特別会)提出)。省エネルギー・低コスト化と合理化に努力し,漁業における経営の改善をはかる必要があると思われる。そして生産物の商品価値を高めるとともに,資源量に相応した適正な漁獲努力量のため,業界の両編整備が必要である。
![]()