●享保の大飢饉 きょうほうのだいききん
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1732年(享保17)に,ウンカの大量発生が原因の大飢饉が,中国・四国地方と,九州一帯におこった。これは,江戸時代にたびたびおこった天災型の大飢饉である。江戸時代の三大飢饉としては,このほかに天明の大飢饉と天保の大飢饉とがある。享保の大飢饉の被害実数は,次のとおりであった。この飢饉で収穫が半減するという大被害を受けた諸藩は,御三家を除く,大名の総数250藩のうち,約5分の1に及ぶ46藩という多数に達した。これら幕府領・旗本領を除く関係諸藩の,1732年における米の収穫高は,わずか62万5,000石に激減し,一方,耗高は約2倍の163万3,000石の大損害となった。飢民数は,幕府の直轄領と旗本領とを合わせて,67万人,大名領は,その約3倍の190万人というから,その合計は,当時の日本全人口の約1割弱にあたる265万人にものぼった。日本国中いたるところで多数の人々が,飢餓にどれほど苦しんだかが,これらの数字でも明瞭に示されている。また,餓死した人は,実に96万9,900人の多数に及んだ(『徳川実記』)。なお,この餓死者数だが,『虫附損毛留書』,および小鹿島果編『日本災異志』では,〈餓死者数は12,172人〉と,別な数字を述べている。