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●郷土史 きょうどし

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 日本史学の一分野で,地域住民による地域史を郷土史というが,これはある一定の時期から使われだしたことばである。郷土史という表現が広く使われるようになったのは,柳田国男らが1910年(明治43)に郷土会を結成し,1913年(大正2)に雑誌「郷土研究」を創刊した1910年代からである。この時期は日露戦争後で農村の疲弊がひどく,農村復興をめざす地方改良運動がおこされたころであった。そのなかで,地域を地縁的な社会集団からなる“郷土”として把握し,地域住民に対して郷土への帰属意識を強めるよう働きかけた。さらに郷土を愛し,よそものに対して自らの郷土を自慢することも求められた。これらをめざして郷土研究がなされ,その成果として郷土誌が刊行された。これは全体としては地誌的なものであり,地名・人口・産業・生活・信仰など,その地域に関するあらゆることにふれようとするものであった。そのなかに地域の歴史的変化を描く部分も含まれていた。それが郷土誌と厳密に区別した場合の郷土史である。

【郷土史の特徴】この歴史叙述の内容には,地域の問題点の批判的分析はない。地域内での対立は地域一体性の強化をはかるということから,意識的に取りあげられなかった。また地域の名勝旧跡の紹介や地域出身の有名人や地域の有力者を顕彰したりするものでもあり,しかもそれを中央の天皇を初めとする支配者に結びつけようとするものでもあった。以上のように,地域住民によるものとはいえ,民衆の立場ではなく地域支配者の立場の歴史であった。それはまた中央支配の末端を担うものとしての地域支配者の立場であった。郷土愛から,当時の国家・天皇制権力への支持にとつなげるねらいをもっていたといえよう。さらに資本主義の発達に伴って変化した地域住民の状況に対応して,地域支配の再確立をはかるために,古いもののよさを強調するものでもあった。このような郷土史の傾向は,郷土研究を提唱した柳田らの意図とは必ずしも同じではなかった。彼らは偏狭なお国自慢を批判していたのである。しかし現実の郷土史はさきにみたような問題点をもっていた。このように当時の郷土史は科学的批判精神を欠くものであったが,当時のようすを伝える記録・資料としての意味を,現在ももっている。

【郷土史の批判】以上のような郷土史のあり方に対して,1930年(昭和5)に発足した郷土教育連盟などが批判を行っている。この批判は郷土の一体性というごまかしを暴露し,階級的視点に立って社会科学として,郷土の歴史を取り上げようというものであった。郷土史ということばは1940年代までよく使われたが,その後地方史といわれるようになった。これはさきにみた地域の対立を隠そうとする郷土史を批判して,地方自治の確立や地域民主化を推進する立場から提唱されたことばである。それはまた,地域の人のみによる郷土史から脱して,専門的研究者の研究に裏づけられたものでもあった。しかし,この地方史は逆に中央の歴史学会の関心に従属することが強くなり,地域から事例を追加提供するだけといった独自性の弱まりがみられてくるようになった。このような傾向に反発する立場から,地方史ではなく郷土史の復権を主張する人もいる。しかし,真の地方史(郷土史)はさきにみたような特徴をもち,しかも研究主体を単に居住者に限ることを意味する郷土史への復帰ではなく,新たに発展した歴史学の水準にみあうものとならなければならない。このようなものとして,地域史の提唱がなされている。これは“中央”に対する“地方”ということではなく,地域としての主体性を強調する立場からなされたものである。しかも,それを地域の支配者の立場ではなく,地域に住み,またその地域で働く民衆の立場に立って,その地域の科学的・批判的分析に裏づけされた歴史叙述の必要がいわれているのである。

〔参考文献〕塚本学『地域史研究の課題』岩波講座 日本歴史25巻,1976年,岩波書店