50音順    検 索

●郷土芸能 きょうどげいのう

AD 

 地方地域の各地で,そこに住む人々によって行われている芸能のことである。多くは古くから行われており,土地により個性が異なるなど郷土的な存在であることから“郷土芸能”の名で呼ばれたと思われるが,こうした芸能の組織的な研究が始められるようになった柳田国男らによる1910年(明治43)の郷土会の設立以後の命名だろう。柳田は1927年(昭和2)折口信夫らとともに民俗芸術の会を発足させ,“民俗芸術”とも呼ぶようになった。そのほか“郷土舞踊”“民俗舞踊”の名称も使われたが,1957年までは郷土芸能が主流を占めた。しかし,1958年東京の日本青年館で長年行われてきた「全国郷土芸能大会」の名が「全国民俗芸能大会」に改称され,以後“民俗芸能”の呼び名が一般的になった。このように郷土芸能の呼称が民俗芸能に改称されるようになったのは,その存在が民俗的であると認識されるようになったからである。つまり日本国土の自然環境のもとに生きつづけてきた日本人の信仰的な精神生活の,文化的な表出(心意伝承)として行われてきた芸能で,それが固有の生活のなかで生活の古典としての善なる仕来り(周期伝承)であり,受け継ぐべき生活的経験(行動伝承)であるとの価値観に立って論ぜられるようになったのである。したがって能や文楽や歌舞伎のような舞台芸術と違い,個人の芸術的あるいは技能的技倆を問うことはほとんどなく,村落共同体(郷土)的な集団性,個人的には勝手な創意を排する没個性的伝統性をもつ信仰的な芸能ということができる。なお,まったく娯楽性をもたないというわけではないが,非劇場的・非営利的芸能ということもできる。多くは祭りの場,年中行事の場で,その行事,あるいはその一環として行われるが,必要な場合には臨時にもしばしば行われている。その芸能を行うことによりその土地と,そこに住む人々の幸福や安寧が祈られ,保障されると考えられてきたのである。信仰的には鎮魂(たましずめ)に発しているが,古代から祝(ほかい)人・海人(あま)や山人(やまびと)・傀儡子唱門師念仏聖・山伏・御師(おし)願人・万歳など,さまざまの遊行神人たちによって村落に唱導されてきた結果と思われるが,そのため郷土(民俗)芸能は必ずしも非職能的芸能と規定することはできない。盆踊りのような非職能的芸能とは違って,伊勢大神楽のように専業の神楽師による職能的芸能をも含むからである。以上のような経緯と性格をもつが,おもに人間の社会的に多岐にわたる年中の生活に対応して,長いあいだにさまざまな郷土(民俗)芸能を分化させ発展させてきたのである。その種別的分類は,幾人かの先学によってなされているが,まとめて再構築してみると,およそ次のようになる。[1]神楽(かぐら) 神座に神を勧請して行う鎮魂の芸能。巫女神楽・採物および能神楽(出雲流神楽)・湯立神楽(伊勢流神楽)・獅子神楽,[2]田楽(でんがく) 耕田・稲作に関する芸能。田遊び・田植神事・田楽躍り・田楽能・田楽舞・田植踊り,[3]風流(ふりゅう) 飾装仮装して御霊の鎮送念仏などを行う芸能。盆踊り・念仏踊り(踊念仏念仏踊・虫送り・雨乞踊り・太鼓踊り・けんばい・念仏狂言・迎講・仏舞)・小歌踊り・綾踊り・捧踊り・奴踊り・万作踊り・つくりもの風流と祭礼囃子・太鼓打芸・和花火,[4]獅子舞 獅子の仮装をする芸能。二人立(獅子神楽)−お練りの獅子・大神楽獅子(だいかぐらじし),一人立(風流獅子舞)−三頭獅子舞・鹿踊り(ししおどり),[5]祝福芸 祝言を行う芸能。翁舞・三番叟・万歳(まんざい)・松囃子・春駒・七福神(とくに恵比須と大黒の舞)・鳥刺し・猿まわし,[6]人形呪戯 人形を神に仮託して鎮魂や祝言を行う芸能。おしら様あそび・傀儡子神人形・翁まわし・三番叟まわし・夷まわし・山車(だし)からくり,[7]語りもの(祭文) 鎮護詞(いわいごと)として唱えられたりする文芸的な芸能。いたこや瞽女など巫(ふげき)の祭文・絵解き・貝祭文・説経節,[8]民謡 自然発生的な民衆歌謡,(A)唄・節・音頭・甚句,(B)松坂・ハイヤ節新保広大寺節・追分節の各系譜,[9]狂言(芝居)戯 たわむれごとを主体とするものまねの芸能。にわか・万作芝居・茶番狂言・面芝居。以上の9種類はおおむね郷土(民俗)芸能固有のもので一次的な存在であるが,宮中や大社寺,また武門のような中央の芸能,あるいは都市の興行的な芸能を模倣移転したものもかなりあり,これを二次的な郷土(民俗)芸能として,頭に“地(ぢ)”を冠してみたが,[10]地舞楽大人の舞楽・稚児の舞楽,[11]地延年,[12]地能と地能狂言,[13]地歌舞伎(地芝居地狂言とも) 素人芝居・買芝居(玄人によるもの)[14]地人形芝居 淡路系・文楽系・江戸系などの三人遣いと糸あやつり。このほかに江戸前期(古浄瑠璃期)の,また後期以降に多発した一人遣いの人形芝居がある。

 郷土(民俗)芸能が民俗的に最も大きな意味をもつ鎮魂には,外来魂を招着させる招魂と,自分のもつ魂を捧げる奉魂と,悪魂を抑える抑魂の三方式があげられ,ときには複合的に行われてもいるが,鎮魂の目的を比較的端的に表している数種について概説しておく。そして,それは同時に郷土(民俗)芸能の主流的存在でもある。“神楽”は招魂芸能である。宮中の御神楽(みかぐら)に対して郷(里・さと)神楽ともいうが,前者が歌謡中心なのに対して後者は歌舞・能ぶりなどを軸としている。巫女神楽は神に奉仕する巫女が行うもので,本来は神の託宣を告げるシャマニズムに発していた。おもに採物(とりもの)の鈴を打ち振って舞うが,平安朝以降儀礼化が著しく,神懸りにいたるものはない。採物および能神楽は島根県の佐陀神社に発するといい,出雲流といわれるが,前段は鎮魂の呪具たる榊・幣・剱などの採物をもった舞を舞い,後段として神々の物語を仕組んだ演劇的な能を演ずるもので,全国的に広く分布する。湯立神楽は神楽の舞庭に湯釜を据え,舞人が笹・藁束・幣などで神に湯を献じ,見物人にもかける。神聖な湯によって祓えを行うもので,伊勢神宮に源流をもつ。愛知・長野の県境地帯の霜月神楽の中心行事である獅子神楽は,二人立ちの獅子舞を中心として,さまざまの余興の芸を併せ演じる。東北に多い山伏神楽・番楽系では古風な能を,中部近畿方面を巡る伊勢大神楽では放下(ほうか―曲芸)を演じている。なお,“獅子舞”であるが,頭と前脚,尻と後脚を一人ずつ受けもちがいるのを二人立ちといい,6世紀の大陸渡来の伎楽以来のもので伎楽系ともいう。全国各地に分布している。東日本に多い一人一頭で腰鼓を打ちつつ演じるものを一人立ちという。日本固有のものとみられているが,関東では三頭一組,東北では八頭一組の形式が多い。西日本には一人立ちはなく,風流の太鼓踊りである。日本では田は古来から最大の命題で,耕田には田の神の招魂芸能が欠かせなかった。一般に“田楽”と総称しているが,正月には豊年を祈って予祝の田遊びが演じられたり,華麗な田植踊りが踊られたりする。実際の田植えにさいしては中国山地にみられるように太鼓囃し入りの田植えが演じられたりもする。この田楽がおかに上がったのが田楽躍りであり,余興として田楽能が行われたりする。いずれも平安末期以降の古習の面影を残すものである。先人たちは春から夏にかけてとくにはやった疫病に悩まされ,疫神の抑魂芸能を行った。おもに鎮送という方法をとるが,悪霊に祟られないようにおだて上げようと華美に飾り立て賑やかに囃し立てて踊った。こうした華麗で浮き立つ芸能を“風流”という。平安朝末ごろ京都紫野の今宮神社に発したもののようだが,こうした飾装の郷土(民俗)芸能を広く風流と呼ぶようになった。したがって範囲も広くほかのジャンルと重なることもあり,疫病祭りに発するもののほか,田楽に発するもの,念仏踊りに発するものなどがある。念仏踊り系のものは,己の来世の幸福を祈るのが主眼の踊念仏が元で,平安朝中ごろの空也上人によって始められ,鎌倉期の一遍上人によって普及することになる。これがのちに亡者の霊を慰めたり,雨乞いに転用されるなど,さまざまに分化して多様になっている。中世末から近世初頭に流行した小歌踊りは,念仏踊りとともに初期の歌舞伎,すなわち女歌舞伎を誕生させている。新潟県柏崎市の綾子舞はその当時の小歌踊りをよく残している。盆踊りは来臨した霊を再びあの世に送り返す踊りである。

〔参考文献〕本田安次『神楽』『延年』『田楽・風流 一』『語り物・風流 二』『離島・雑纂』1966〜1973,木耳社

西角井正大『民俗芸能入門』1979,文研出版

三隅治雄編『民俗芸能辞典』1981,東京堂出版

01