●恭譲王 きょうじょうおう
アジア アジア AD1345
1345〜1394 在位1389〜1392。朝鮮,高麗の最後の王。諱(いみな)は・。神宗7代の孫。父は定原府院君釣。母は王氏。初め定昌府院君に封じられたが,33歳のときに昌王が王氏でなかったのを理由に廃され,ときの実権者李成桂(のちの朝鮮国の太祖)たちに推されて第33代の王となった。しかし,高麗は崩壊にひんしており実権は李成桂に握られていた。李成桂は田制改革を初めとする内政改革を断行し,守旧派の陰謀をおさえ,王公貴族の経済的基盤をうばうため名目的に王を擁立して成功をおさめた。ために王は在位わずか4年で廃され,李成桂自ら即位したため,恭譲君に封じられて杆城に追放された。のち三陟に移されたが,前朝遺臣らによる擁立陰謀がしばしば発覚したので,1394年に王命による刺客によって,2子とともに配所で絞殺された。1416年(太宗16)にいたり恭譲王の陵号をおくられた。