●教育方法学 きょういくほうほうがく
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【定義】かつては教育方法論といわれていたが,科学的な実証的実験方法を取り入れることによって,教育方法学と呼ばれるようになった。1964年(昭和39)には,日本教育方法学会が設立され,研究がすすめられている。方法という概念は,「あるものへいたる筋道」,「一定の目標へ達するための道」のことであり,教育方法は,教育目標に到達するためのすべての道を意味することになるが,教育方法学の対象領域は多様かつ複雑であり,一義的に定義することは難しい。一般的には,わが国では大きく三つの意味に分類できる。第1は,きわめて広い使い方で,学校教育・家庭教育・社会教育など広く教育が行われているところでの,教育方法一般を対象にする場合である。第2は,教育学の専門用語として比較的広く使用されている場合である。つまり,教育目的を達成するための学校教育作用である学級経営・学習指導・生活指導を総称したものとして,教育方法をとらえている。ただし,学級経営の機能を学習指導と生活指導の二つに分けて考え,学級経営を枠からはずして二つをまとめて教育方法と呼ぶ考え方もある。このような使い方は,伝統的には,ヘルバルトが教育作用を管理・教授・訓練の三つの分野に区分し,それらを関連するものとしてとらえたことに由来している。第3は,狭い意味で,学校教育の中心である授業における教育の方法を対象とする場合である。これは,英語のteaching,ドイツ語のUnterrichtに相当し,歴史的に,教授法→学習指導→教育方法と呼ばれてきた。教授法という概念は,教師による教授の方法という意味において,明治以来長い伝統をもって使用されてきた。それは,教師中心の教育観のあらわれであり,単なる知識の授与に終始する活動が教授の根幹をなしており,それを効果的にする技術を教授法とみる考え方であった。教授法に代わることばとして学習指導ということばが一般化したのは,おそらく大正年間の中期以降であろうが,それが支配的な力をもつことばとなったのは,第二次世界大戦後,アメリカの進歩主義教育思想の影響を受けてからである。つまり,児童中心主義の教育観が前提となっており,そこでは,学習とは生徒自身の経験を再構成することであり,教師の任務は,生徒の興味を中心にした自発的・創造的な学習を指導することにあるとされる。しかし,現在では,教師の指導性を強調する意味も含めて,教育方法ということばが普及している。さらに近年では,独自の教育内容・方法を取り扱うものとして各教科に教科教育方法学が発展してきている。【研究領域】教育方法学が取り扱う研究領域には,以下のものがある。第1に,教育内容の問題,つまり教育の目標−内容の関連における陶冶財=教材の本質,陶冶財=教材の選択・配列,ないし組織化の原理など。第2に,授業過程の問題,つまり教授=学習過程の本質と構造,授業過程における認識過程と練習過程,さらに授業における集団過程の問題などである。第3に,教授原理の問題,教授原理の本質,授業の成立と展開に関する教授の諸原理・諸規則,教授技術。第4に,教授形態の問題,教授組織の原理。第5に,教育における訓育論,集団論の問題。
【研究方法】教育方法学の研究方法としては,従来まで理論体系の思弁的吟味が主流を占めていたが,近年,実証的な調査や測定,さらには実験による仮説の検証などの方法も用いられるようになった。また,教育工学的手法を用いて授業を分析・システム化し,教育過程を最適化し,教育効果を高めることをねらう研究もすすめられてきている。なお,国立大学の教育方法学の講座は,1974年(昭和49)度から実験講座として認められるようになった。そして,教師の教職能力形成にとって教育方法学は中核的な意味をもつものであり,きわめて重視されるようになってきた。
【教授=学習過程研究】教職能力形成にとってとりわけ重要なのは,授業の成立と展開過程を研究する教授=学習過程研究である。授業を教授=学習過程としてとらえるということは,相対的に独立した教師の教授活動と子どもの学習活動とを統一された過程としてとらえることをいう。こうしたとらえ方は,理論的にも実践的にも重要な意義をもっている。それは,教授と学習の統一をめぐって,これまでに二つの偏向がみられたし,今なお,こうした偏向が克服されているとは必ずしもいえないからである。第1の偏向は,授業を教師の教授活動と同一化するところから生じるもので,教師の押しつけに象徴される知識注入主義的な授業観である。こうした授業観のもとでは,教師の活動は,すでに完成された知識・技能の伝達にあるとされ,子どもの活動は,それに従属して,知識・技能を受容するにすぎないとされる。第2の偏向は,授業を子どもの学習活動と同一化し,もっぱら子どもの活動に還元するところから生じるもので,児童中心主義的な授業観である。ここでは,子どもの興味や関心が絶対化され,教師の活動は,そうした興味や関心にもとづく学習活動への援助・助言のみに限定されることになる。以上二つの偏向は,一見,まったく正反対の授業観のように思われる。しかし,両者は,教師の活動と子どもの活動の関係を二律背反的にとらえ,一方の活動が活発になれば,他方の活動は後退せざるを得ないととらえている点では共通している。さらに両者において,子どもは「伝達の対象」「援助の対象」としてしかとらえられておらず,真の意味での「学習の主体」「発達の主体」としてはとらえられていないのである。教科内容の本質へむかう子どもの自主的活動は,自然に発生するものではなく,まさに優れた教師の指導性のもとで初めて喚起されるのである。教えるという教師の活動の本質は,子どもたちに学びたいという能動的・自主的な意欲と活動をよびおこすところに存在している。授業を教授=学習過程としてとらえるということは,教師の指導性と子どもの自主性とをたえず弁証法的に統一していくことにほかならないし,こうした統一がなされて初めて,授業が真の授業として成立するといえよう。教えるという教授行為によって,子どもたちの能動的な思考・表現活動が引き出されなければならない。教えなければならないものが,子どもたちの学びたいものに転化しなければならないのである。そういう機能を果たすものが教材解釈にもとづく発問なのである。教材解釈にもとづく働きかけという手段を介することで初めて,教えたいものが学びたいものに転化する。そのさい,働きかけの手段体系の中核をなすものが発問なのである。だから,教授=学習過程研究の中心問題は,教科内容の本質へむかって,子どもたちの能動的な思考・表現活動を導き,方向づけていく発問系列の研究にある。
教育方法学研究の全国的な学会組織としては日本教育方法学会があり,その研究成果は次のとおりである。[1]教科内容・指導方法の現代化,[2]授業改造の基本問題,[3]授業組織化と教師の指導性,[4]学力差と教授・学習過程,[5]教育方法学‐’70年代の課題,[6]授業研究の課題と方法,[7]現代学校教育論の再検討,[8]教育課程再編の原則,[9]現代訓育理論の探究,[10]学力の構造と学力評価のあり方,[11]現代授業理論の争点と教授学,[12]学級教授論と総合学習の探究,[13]いま,授業で何が問われているか。(日本教育方法学会編『教育方法』)
〔参考文献〕細谷俊夫『教育方法』第3版,1980,岩波書店
吉本均編著『講座 現代教授学』全3巻,1980,明治図書
『宮坂哲文著作集』全3巻,1968,明治図書
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