●闕特勤 キュル=テギン
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685〜731 突厥の再興を図った阿史那骨咄禄の子,ビルゲ※注1※可汗の弟。骨咄禄の死後、その弟の黙啜(もくてつ)可汗(かぱがん)が兄の遺志をつぎ,大いに拓疆につとめたが、やがて鉄勒諸部の離反にあい戦没した。これより突厥の内部は乱れ、また,汗位をめぐり紛争もおこった。ときに闕特勤は、勢力の統一化を企図して、黙啜の子およびその一族を殺し,兄を立ててビルゲ※注1※可汗となした。自らは,左賢王としてもっぱら兵馬の権を掌握した。闕特勤の輝かしい功業は、732年,ビルゲ※注1※可汗によってオルホン河畔に建てられた,いわゆる闕特勤碑の文によって知られる。この碑文は,突厥文と漢文の2種類の文体で記され,ほかの諸突厥碑文とともに,古代トルコ学研究の上に貴重な根本資料を提供している。またこの碑文により,当時の突厥が唐朝など異民族の国家に対し,遊牧民族特有の強いナショナリズムを保持していたことがうかがわれる。
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