●キュビスム
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1907年,パリに生まれた革新的な美術運動。パブロ=ピカソやジョルジュ=ブラック,ファン=グリスらが,黒人彫刻やセザンヌの影響を受け,自然や人間を単純な形体に還元して描くことから始まった。名称の由来は,1908年のサロン=ドートンヌにブラックが出品した「エクスの家」を見た審査員のマチスが小さな立方体(cube)の集まりといったのを聞いて,批評家のヴォークセルが嘲笑的にキュビスムと呼んだことにある。彼らは,対象を単純化し,幾何学的形体に置き換えることから出発し,ついで,ルネサンス以来絵画の制作原理となってきた一点透視法を放棄する破格の表現方法を打ち出した。すなわち,視点を一点に固定せず,原始彫刻や古代エジプトの壁画にみられるように,複数の視点から得られた複数の視像を同一画面に描くのである。たとえば,同じ1人の人物の横顔と正面からみた顔とが並べて,あるいは重ねて描かれる。要するに複数視点の同時的表現である。わけのわからぬ絵だということで一般から強い非難を浴びたのは当然である。この派の熱心な擁護者だった詩人のギョーム=アポリネールは,その革命的な表現方法を次のように説明した。〈いままで,無限の感情が偉大な芸術家の魂にもたらす不安を表現するには,ユークリッド幾何学の3次元で充分だった。新しい画家たちは,従来の画家たちと同じく,幾何学者たろうとするわけではない。しかし,いわば幾何学と造形美術の関係は,文法と文筆家の関係に対応するのである。ところで今日,学者はもはやユークリッド幾何学の3次元をよりどころとはしない。画家たちはきわめて自然に,また,いわば直感によってひろがりの可能な新しい尺度に専心するようになった。つまり近代のアトリエの言葉で,その全体を手短かに“第4次元”と呼ばれているものである〉(『キュビスムの画家たち』1913)。この運動の発展段階は三つの時期に分けることができよう。第1期は,1907年から1910年ころまでの「セザンヌ的キュビスム」で,単純な形体で構成され,一点透視法を否定して,明暗の表現や肉づけが放棄される。第2期は1910年から1912年ころまでの「分析的キュビスム」で,“面の折り畳み”と呼ばれる切子細工のように対象の諸平面が多元的に描かれ,錯雑した画面は色をおさえた単彩画のようになる。第3期は,1913年から1914年ころまでの“総合的キュビスム”で,さまざまな物体同士の諸関係の表現による全体の総合が意図され,「パピエ=コレ(貼り紙)」や砂などの貼付による実際の物体の導入が試みられた。この段階において,絵画を独特な有機的秩序をそなえるオブジェ(物体)に仕立てあげようとする着想が生まれたことも注目される。ブラックの「感覚はデフォルム(形をゆがめる)し,精神はフォルム(形づくる)する」という主張にも明らかなように,キュビスムは,感覚よりも精神を重視した。単に新しい技法を編み出そうとしただけではなく,描写に先立つ物の見方・とらえ方の改変を迫るものだった。アポリネールのことばを借りれば,キュビスムにとって絵画は,「模写の芸術ではなく,創造にまで高まることをめざす芸術」でなければならない。1ヵ所から眺められる対象をそのとおり描くのでなく,複数の視点からみられた複数の視像を同時に組織的に表現しようとする態度は,絵画のみならず,他のジャンルのさまざまな視覚的表現に大きな影響を与えた。対象をいったん破壊して,レンガのごとき部分部分を自由に組み立て直して全体像を新しく構成する基本的方法を継承するところから抽象画が生まれたことがとくに重要である。上記のほかに,アルベール=グレーズ,オーギュスト=エルバン,マリ=ローランサンなどの画家,アレクサンダー=アルキペンコ,ジャコブ=リプシッツなどの彫刻家がいる。ロベール=ドローネーは,キュビスムの形体処理に未来派(フュチュリスム)の動的な表現と多彩色を加えて,「オルフィスム」という独自の作風を打ち立てた。