●キューバの反乱 キューバのはんらん
北アメリカ キューバ共和国 AD
18世紀末から19世紀前半にかけてアメリカ合衆国やイスパノ=アメリカ(スペイン系アメリカ)の独立運動の影響を受けてキューバ人のなかからキューバ独立の思想が生まれ,スペイン本国や強圧的な総督からの解放を求めるようになった。1844年の反乱では,詩人ガブリエル=デ=ラ=コンセプシオン=バルデスが共謀者として処刑された。1868年カルロス=マヌエル=デ=セスペデスが革命運動を指導したが,スペインでは彼らを反乱者と呼んだ。セスペデスは,マセオ・マキシモ=ゴメスらとともにスペインの支配と10年間にわたって戦う。1878年スペイン政府軍のマルティネス=カンポス将軍の働きにより,サンホン条約が成立,恩赦・黒人奴隷の解放・キューバ人に対する行政機関の門戸解放などが約束され,スペイン国会もそれを認めたが,実行はされなかった。1892年,ホセ=マルティによる革命党が出現,1895年戦いが再開された。マルティの死(同年5月)後も革命熱は消えず,キューバ全島にひろがっていった。1897年,これらキューバ愛国者たち(反乱者)を交戦団体と認めたアメリカ合衆国は,メイン号の炎上を理由にスペインに宣戦布告した。これが米西戦争(1898)の始まりであり,この戦争の結果,1902年,キューバは独立を達成したのである。